「日本で化粧を覚え“月の女神”に」プロゴルファー フェービー・ヤオが日本ツアー引退 今後は台湾との架け橋にも

2012年、大学生だった20歳の頃から11年間にわたり、日本のゴルフトーナメントで活躍、LPGAツアーで2勝したフェービー・ヤオ選手(31)が今年で日本ツアー参戦から引退し、11月、台湾へ帰国しました。

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「フェービー」とは、ギリシャ神話の「月の女神」が由来ですが、まさに女神のような美貌と強さで多くのファンを魅了したフェービー・ヤオ選手。日本でのプロ生活を振り返ったインタビューでは「笑いの女神」の一面も垣間見せました。SBS牧野克彦アナウンサーが聞きました。

“あのどんぶり”が好きだった⁉

<牧野克彦アナウンサー>
学生時代から日本に来て、苦労したことも多かったのではないでしょうか。

<フェービー・ヤオ選手>
1番苦労したのは言葉の違いかな。最初に日本に来た時は、日本語の能力はほぼゼロの状態で、あいさつでさえも“ギリギリアウト”のレベルでした(笑)。食べたいものも注文できないほどだったので、カツ丼ばかり食べていました。

なぜなら、知っている日本語がカツ丼だけだったから。当時、周りのプロのみんなは「フェービーはカツ丼好き」というイメージを持っていたと思いますよ。

ばっちりメイクは日本で覚えた

<牧野>
げん担ぎで「勝つ」とかけてカツ丼を食べる人はいますが、知っている日本語がカツ丼だけなのでカツ丼ばかり食べていた人は初めて聞きました。以前取材させてもらったとき、夕食は試合会場の近くにあるファミレスで1人で食べている、と話されていたのが印象に残っています。プレッシャーがかかる試合の合間も、全国各地を1人で移動して、1人で食事。孤独との戦いもあったでしょうね。台湾と日本で、試合時に違いはありましたか?

<フェービー>
台湾と大きく違う習慣は、日本では選手が試合の時にしっかりと化粧をすることですね。台湾の選手は日焼け止めだけ塗ってプレーする選手が多かったので、日本に来た時には驚きました。女子プロみんながキレイな化粧をしていたので、私も日本に来てから化粧を勉強して、いまでは化粧をしていないと家を出られないくらいのレベルになりましたよ。来日して化粧を覚えて、フェービーの名の通り、“月の女神”になれたのかもね。

<牧野>
フェービーさん、トークも面白いので「笑いの女神」にもなれそうですね。日本でのゴルフで最も思い出に残っている場面を教えてください。

<フェービー>
1番思い出深いのは、まだ、アマチュアだった2009年と20210年に、推薦をいただいて出場したサントリーレディスです。その頃から日本ツアーに憧れて、日本ツアーで勝負したいという気持ちが湧き、がんばりました。

なぜ?日本ツアー引退

<牧野>
去年はステップアップツアーのユピテル静岡新聞SBSレディースで優勝し、今年はそのサントリーレディスで13位タイと、まだまだ活躍できると思いますが、日本のツアー引退を決めた理由はなんですか。

<フェービー>
さまざまなことを考えての結果ですが、1番大きな理由は、日本ツアーのコース設定が私と合わなくなってきたことです。元来、私は飛ばす選手ではなく、ショットの精度を高くすることに注力していました。

いまのゴルフ場の平均距離は、6600ヤードを超え6700ヤードでも普通くらい。セカンドショットはユーティリティやフェアウェイウッドじゃないと届かなくなりました。もっと飛ばすためにとトレーニングを頑張った結果は「けが」でした。

2023年夏、治療のためにオープンウィークを入れて3週間休みました。しかし、ツアーに戻って試合に出場すると、痛みが少しずつ戻ってきました。つまり、体の状態とコースの距離が合わなくなったギャップが一番の大きな理由だったと思います。

日本のファンのみなさんへ

<牧野>
距離を伸ばそうと無理をしてけがをする選手は、ほかにもいると聞きますので、戦う場を変えるというフェービーさんの選択は、多くの選手の参考になるかもしれませんね。では、日本のファンのみなさんにメッセージをお願いします。

<フェービー>
日本のみなさま、これまでありがとうございました。フェービーは日本ツアーを引退しますが、ツアー選手としては台湾でまだまだ頑張って行きます。これからも応援よろしくお願いします。

今後は台湾ツアーで戦いながら、日本での経験を生かして「台湾と日本のゴルフの架け橋」になりたいというフェービー・ヤオ選手。今後の台湾での活躍が楽しみです。(写真提供:TLPGA・フェービー・ヤオ インスタグラム)

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