F1史上最強マシン トップ10(1)10~7位:強さを誇ったシューマッハー時代のフェラーリ

 2023年F1で22戦中21勝を挙げ、年間最多勝や勝率など数々の記録を塗り替えたレッドブル。F1史上最強マシンともいえるRB19と、同じようにライバルたちを圧倒してきた伝説的なF1マシンのなかから、F1i.comの技術分野担当ニコラス・カルペンティエルが、勝率に基づいてトップ10台をピックアップする(全3回)。

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■第10位 レッドブルRB18(2022年)

優勝:22戦中17勝
勝率:77.3%
ポールポジション:22戦中8回
コンストラクターズタイトルを獲得したレース:22戦中19戦目

2022年F1ブラジルGP マックス・フェルスタッペン(レッドブルRB18)

 グランドエフェクトカー元年だった2022年。レッドブルは前年最終戦までタイトルを激しく争っていたため、RB18の設計のスタートを遅らせざるをえなかった。その影響もあって信頼性に欠け、シーズン序盤はフェラーリにリードを許す。マシン重量が重かったことも、パフォーマンスに響いた。

 一方で開発総指揮者のエイドリアン・ニューウェイは、ライバルたちが大いに手こずったポーパシング現象を事前に予測し、アンダーフロアの形状と独創的なサスペンションによってこれを抑制。予選では決して最速ではなかったものの、レースではシーズン中盤以降に盛り返し、タイトルを独占したのだった。

■第8位 フェラーリ500(1952年~1953年)

優勝:17戦中14勝
勝率:82.4%
ポールポジション:17戦中13回

1952年F1オランダGP アルベルト・アスカリ(フェラーリ500)

 1952年、フェラーリ500は出場したすべてのレースを制した。ではなぜこのランキングで、9位に留まっているのか? 当時世界選手権の一部だったインディ500に出場せず、その分、勝率が下がったからだった。

 翌1953年も引き続きフェラーリ500は参戦し、前年ほどではなかったものの優位は変わらなかった。フェラーリ500を駆ったアルベルト・アスカリは、2年連続でタイトルを獲得した。

■第8位 フェラーリF2002(2002年)

優勝:17戦中14勝 (2002シャシーでは15戦に参戦し、14勝)
勝率:82.4%(2002シャシーで参戦した15戦に関しては93.3%)
ポールポジション:17戦中8回
コンストラクターズタイトルを獲得したレース:17戦中13戦目

2002年F1ベルギーGP ミハエル・シューマッハー(フェラーリF2002)

 2002年、フェラーリは開幕2戦はF2001で戦い、新車F2002を投入したのは第3戦からだった。そしてミハエル・シューマッハーはこの年、すべてのグランプリで表彰台に上った。

 F2002には、15%軽量化された新しいギヤボックスが導入された。その軽さとコンパクトさ、そして低重心化は、紛れもない利点だった。ミシュランを履いたウイリアムズ・BMWが予選では何度かフェラーリを破ってポールポジションを獲得したものの、レースではブリヂストンタイヤを履いたF2002ほど効率的ではなかった。

 フェラーリは最初の6レースで5勝を挙げ、それ以降の11レースも10勝。落としたレースは、第7戦モナコだけだった。シューマッハーは早くも7月に王座を獲得し、ファン・マヌエル・ファンジオに並ぶ5度目の世界タイトルを獲得した。

 F2002は大成功を収め、Bバージョンが2003年の開幕4ラウンドに出場。優勝1回、ポールポジション1回、表彰台3回を獲得した。

■第7位 フェラーリ F2004(2004年)

優勝:18戦15勝
勝率:83.3%
ポールポジション:18戦中12回
コンストラクターズタイトルを獲得したレース:18戦中13戦目

2004年F1日本GP ミハエル・シューマッハー(フェラーリF2004)

 F2004のステアリングを握ったミハエル シューマッハーは148ポイントを獲得し、当時のシーズン最高得点記録を樹立した。開幕から13レースにおいて、全盛期だったシューマッハーは12レースを制し、チームメイトのルーベンス・バリチェロは3レースを除くグランプリで表彰台に上った。

 フェラーリが第13戦でコンストラクターズタイトルを確定したことも、F2004の優位性をさらに証明している。その後、シーズン終盤になっても、最後の5レースのうち3戦で優勝を果たした。F2004は高い信頼性を発揮し、リタイアは2回のみでいずれもクラッシュによるものだった。
(第2回に続く)

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