3年目のF1となった2023年シーズンは、角田裕毅(アルファタウリ)にとってF1ドライバーになってから最も厳しい状況のなかで開幕した。新車『AT04』のパフォーマンスが期待していたレベルに達していなかったからだ。それは、2023年までチーム代表を務めたアルファタウリのフランツ・トスト代表が「もう(うちの)エンジニアの言うことは信用しない」と述べたほどだった。その言葉が決して大袈裟でなかったことは、デビューから2年連続で入賞していた開幕戦バーレーンGPで、2023年はポイントに手が届かなかったことでもわかる。
アルファタウリは2022年も新車の重量が想定よりもオーバーするなどして苦しいシーズンを送り、2018年以来のコンストラクターズ選手権9位に低迷した。しかし、2023年のアルファタウリはそのときよりも厳しい状況で、第9戦カナダGP後からシーズン終盤の第19戦アメリカGPまでは、コンストラクターズ選手権最下位に低迷していたほどだった。
そんななか、孤軍奮闘していたのが、角田だった。8番目から10番目のチームでありながらも、角田は開幕戦から5戦連続でポイント争いを演じ、第3戦オーストラリアGPと続く第4戦アゼルバイジャンGPで10位に入賞し、チームに貴重なポイントを持ち帰った。それは角田が目標に掲げていた2022年までのチームメイトだったピエール・ガスリーを彷彿とさせる、苦しい状況でもしっかりと結果を出す走りだった。
3年目になって、角田がリーダーとしてチームから信頼を得ていたことは、2023年のチームメイトを見ればわかる。2023年のアルファタウリはアルピーヌへ移籍したガスリーに代わって、2019年のFIA F2王者であり、2020/21年のフォーミュラEのチャンピオンでもあるニック・デ・フリースを起用した。ふたつのカテゴリーでタイトルを獲得したデ・フリースに対して、角田が苦戦すると予想されたが、結果は予選で角田が8勝2敗と完勝している。
そのデ・フリースに代えて、アルファタウリは第12戦ハンガリーGPから優勝経験があるダニエル・リカルドを起用した。リカルドは8回も優勝していることから、やはり苦戦が予想されたが、結果は角田が4勝3敗と勝ち越している。
リカルドが怪我で欠場していた5戦は、リザーブドライバーのリアム・ローソンがチームメイトとなったが、この戦いも角田が4勝1敗と寄せ付けなかった。
レースでも角田は安定した速さを披露していた。そのことがよくわかる数字が、チームの総得点に占める角田の獲得ポイント数の割合だ。2021年の角田は7回入賞し、獲得ポイントも32点と、過去3年間で最も高い成績を残していたが、これは2021年のマシンの戦闘力が高かったためで、チームの総得点に占める角田の獲得ポイントは22%にすぎなかった。2022年にはこれが34%と微増。
それが2023年は、チームの総得点に占める角田のポイント数は68%と一気に増加した。このことからも、2023年のアルファタウリのリーダー役が角田だったことは、明白だろう。
その2023年のなかで、角田のベストレースを挙げるとすれば、ドライバーズサーキットのスパ-フランコルシャン・サーキットで初めて入賞した第13戦ベルギーGPや、初めてファステストラップを獲得した第19戦アメリカGP、あるいは初めてラップリーダーとなり、ドライバー・オブ・ザ・デーに選出された最終戦アブダビGPとなるだろう。
しかし、あえて言うなら、2023年の角田の成長を語るうえで忘れてはならないのが、ポイントを獲得できなかったすべてのレースだ。じつは2023年の角田はレースで完走できなかったのは2回しかない(完走扱いは除く)。フォーメーションラップでエンジンブローしたイタリアGPと、1周目にセルジオ・ペレス(レッドブル・ホンダ)と接触したシンガポールGPだ。つまり、明らかに自らのミスで完走できなかったレースは一度もなかった。
完走率の高さは、トップドライバーとなるために非常に重要な指標。ドライバーとして3年目に大きく成長した角田に、2024年に最も必要とされるのは、角田自身の成長よりも、もはやその成長に見合うだけの戦闘力のあるマシンだろう。