〈1.1大震災~連載ルポ〉「早くお母さんを」発生72時間 苦渋の中断「生きてて」

安否不明者を捜索する消防隊員=4日午前11時15分、珠洲市宝立町鵜飼

  ●珠洲・宝立町鵜飼

 「とにかく急いで」。不明者の生存率が下がる「72時間」を過ぎても、被災地では懸命の捜索活動が続いた。珠洲市宝立町鵜飼(ほうりゅうまちうかい)では、72時間まで残り2時間となった4日午後2時、消防隊による救助活動がようやく開始。高齢女性が下敷きとなった家屋では作業が難航して翌日に持ち越され、息子は「お母さん、何とか生きていて」と声を振り絞った。(珠洲支局長・山本佳久)

 見附島(みつけじま)がある鵜飼は、沿岸部に木造住宅が密集しており、強烈な揺れで多くの民家が倒壊した。追い打ちを掛けるように津波が押し寄せ、一帯は壊滅的な被害を受けた。

 寺山勇也さん(40)の自宅は地震で1階部分がつぶれ、高齢の母、すみ子さんが下敷きとなった。地震発生時、2階にいた勇也さんはすぐ外に出て「お母さんっ、大丈夫かっ」と呼び掛けたが、返事はなかった。

 母親を助けたいが、1人ではどうにもならない。海から津波が迫る中、勇也さんは体を引きちぎられるような葛藤の中で避難所の宝立小中に駆け込んだ。

 4日は、福井県の消防隊員が救助に当たったが、つぶれた1階部分に入ることができず、同日の作業を断念。勇也さんは「生きて見つかってほしい」とすがるように語った。

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