病で不安な時に勇気づけてくれたのが初代タイガーマスクだった 琉球ドラゴンプロレス代表 グルクンマスク 夢へダイブ

場外への空中殺法を繰り出し、観客を盛り上げるグルクンマスク=12月30日、北中城村・イオンモール沖縄ライカム(名護大輝撮影)

 【沖縄】沖縄市中央にある県内唯一のプロレス団体「琉球ドラゴンプロレスリング」(琉ドラ)は、団体名にちなんだ初の辰(たつ)年を迎えた。1度は病気でプロレスラーの夢を諦めたグルクンマスク(52)が、沖縄の人に試合を見てほしいと2013年に旗揚げ。団体の代表として「プロレスを通して夢と希望を伝えたい」と新年の飛躍を誓う。(中部報道部・屋宜菜々子)

 琉ドラには沖縄にちなんだリングネームのレスラー8人がおり、ウルトラソーキ、ティーラン獅沙(シーサー)と2人の県出身も活躍する。コミカルな動きを交えて子どもの笑いを誘い、華麗な空中技を決めて会場を沸かせる。年齢や国籍に関係なく、大人から子どもまで楽しめるスポーツエンターテインメントを目指す。

 パークアベニューにある常設のジム以外にも商業施設や残波ビーチの海の上と、どこにでもリングを設置して試合をしてきた。まだ大会を開いていない北部3村の他、将来的には首里城正殿前で試合する夢がある。代表は「みんなに驚かれる面白いことがしたい」と笑った。

 大阪府枚方市出身。幼少期からぜんそくがひどく、中学時代は2回入院した。「この先、生きていけるのか」と不安な時に勇気づけてくれたのが、テレビで見た初代タイガーマスクだった。小さな体から繰り出す華麗な空中技、何度も立ち上がる勇姿…。「こんなプロレスラーになりたい」と決意した。

 しかし高校卒業時にも病気は改善せず、フィットネスジムのインストラクターになった。大人になり、健康のために通っていたキックボクシングのジムがプロレス団体とつながりがあり、不思議な縁を感じた。

 夢を諦められず、横浜のプロレス団体に入門。病気も治った01年、30歳の遅咲きデビューを飾った。その後沖縄に移住し、10年から「沖縄プロレス」で活動していたが、団体の県外撤退を機に13年、「琉ドラ」を自ら旗揚げ。沖縄の人に親しまれる団体にしようと首里城の龍柱などをヒントに、団体名に「ドラゴン」を入れた。

 「人に喜んでもらうことが一番」と、収益金の一部を児童養護施設へ寄付。施設や里親家庭の子どもを試合に招待するなど、地域との関わりも大切にしている。県内小中校や大学で行う講演では「夢はかなわなくてもいい。夢見た景色から開ける道がある」と力説する。

 50歳を過ぎ、1度は引退を表明したが「こんなに楽しいことをやめるのはもったいない」と撤回。昨年12月30日、北中城村での試合ではリングから場外に豪快なダイブを決めた。

 6、7日、豊見城市のイーアス沖縄豊崎で観戦無料のイベントを開く。能登半島地震の被災者への募金箱を設置し、ポストカードの売り上げの全額を寄付する。「プロレスが何かしらの元気を伝えることができれば」と力を込めた。

ヘッドロックで相手の動きを止めるグルクンマスク(左)=12月30日、北中城村・イオンモール沖縄ライカム(名護大輝撮影)

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