相馬錩一氏が死去 元弘前市長、元青森県議 87歳

 弘前市長を1期、青森県議を通算7期務めた税理士の相馬錩一(そうま・しょういち)氏が3日、弘前市の病院で死去した。87歳。同市出身。自宅は同市小人町2。通夜は11日午後6時(弔問受け付けは同5時~5時50分)、葬式は12日正午、ともに同市南城西2の11の3、公益セレモニーホールで。喪主は妻育子(いくこ)さん。

 弘前市職員を経て同市議2期、県議6期を歴任。旧岩木町、旧相馬村との新設合併に伴う2006年4月の同市長選で当選し、新弘前市の初代市長に就任した。10年の市長選で落選したが、11年には県議に再選した。全国高校定時制通信制教育振興会副会長や県スポーツ・レクリエーション連盟会長などを務めた。

 市長時代には、北海道斜里町や群馬県太田市と友好都市提携盟約を締結したほか、毎月5日の「弘前市りんごを食べる日」を制定した。

 当時、市秘書課や観光物産課の課長補佐として仕えた桜田宏市長は、功績の一つに弘前スポレク祭創設を挙げ「市民のスポーツへの興味や意識を高めることに尽力されたことは、市が現在掲げる『健康都市弘前』の実現に通じるもので感慨深い」とコメントした。

 相馬市政で副市長を務めた後、10年の市長選で相馬氏を破り当選した葛西憲之氏(77)は「市政運営のビジョンやミッションに相違があって戦うことになったが、志は一緒。情熱は心を打つものがあった」と語った。

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