大腸がんから復帰した阪神・原口文仁選手インタビュー「普通に生活し、野球ができる。ありがたい」

がんが発覚してからの自身の経験を語る阪神タイガースの原口文仁選手=西宮市甲子園町(撮影・風斗雅博)

 昨年、38年ぶりの日本一に輝いたプロ野球阪神タイガース。代打の切り札であり、「バモス!(さあ行こう)」のかけ声でチームを引っ張った原口文仁選手(31)は5年前、「ステージ3B」の大腸がんと診断されました。闘病時の支えや生きがいについて熱く語ってくれました。(聞き手・中島摩子)

 -2018年12月、がんが分かったのは26歳のときでした。

 「体調を知ろうと、軽い気持ちで人間ドックを受けました。まさか『がん』という言葉が先生の口から発せられるとは。スポーツ選手として体調に気を付けながら生活してきたので、ただ驚きしかなかったです」

 -18年はプロ9年目。代打で23安打を放ち、代打でのシーズン最多安打の球団記録に並びました。その年の3月、子どもが生まれたばかりでしたね。

 「時間がたつうちに、死というものをすごく実感するようになりました。子どもがまだ小さい中で、先が見えなくなる不安が日に日に出てきました」

 -支えになったのは?

 「家族が以前と変わらない生活をしてくれたことが、大きかったです。入院中にキャンプが始まり、みんなが野球をしている姿をテレビで見ていました。野球で悩めること、野球ができること、普通に生活できることは当たり前じゃない。死を身近に感じ、それが身に染みました」

 -19年1月に手術を受け、2月に抗がん剤治療がスタート。3月には練習を再開しました。ただ、トイレの回数が増えたり、抗がん剤治療の影響で顔がはれたり、体がしんどくなったりしたそうですね。

 「球団はチームとは別調整でいい、練習時間や練習量も変更していい、と認めてくれました。環境を整えてもらえたことは、すごく大きな支えでした」

 -6月に1軍復帰。検査や通院をしながら、グラウンドに立ってきた思いは?

 「病気をきっかけに僕のことを知ってくれた人もいます。タイガースのユニホームを着て1軍で活躍することは影響力が大きい。『原口、頑張ってるな。だったら私も』などと思ってもらえるように、努力を積み重ねてみなさんに見てもらいたい。今を大切に、時間を大切に。遅かれ早かれユニホームを脱ぐ時は来るので、着ているうちにできることをコツコツと続けたいと考えています」

 -生涯で2人に1人ががんになる時代。がんサバイバーはたくさんいます。

 「お互い頑張っていきましょうという気持ちです。1月26日で手術から5年。検査のたび、僕も家族もとても不安になりましたが、5年は大きな節目です。今はトイレの不安などはほとんどありません」

 -「つらい」「しんどい」に直面している人にメッセージを。

 「しんどい時は誰しもあると思います。遠回りしたり、逃げたりすることが、だめなわけじゃない。1回休憩して、ゆっくりと、自分の原点や生きがいについて考える。何が大好きなんだろうとか、もっとこういうことをやりたいなとか。僕の場合はそれが野球だった。病気になってから、普通に生活し、野球ができることが『ありがたい』と感じるようになった。元気を与えられる選手になりたい、人の役に立ちたい、というのが今のモチベーションです」

 -さあ、新たなシーズンが始まります。

 「チームはまだまだ強くなる途上です。僕もさらに自分を成長させて、たくさん試合に出たい。体調に気を付けながら、大好きな野球に取り組みたいですね」 【はらぐち・ふみひと】1992年3月3日生まれ、31歳。埼玉県出身。右投げ右打ち。内野手。背番号94。2010年に帝京高からドラフト6位で阪神へ。腰痛などがあり13年に育成選手になったが、16年に支配下登録に復帰。23年のレギュラーシーズンはすべて代打で54試合出場。打率・192、2本塁打、8打点。ヒッティングマーチは「ここに立つ為に 鍛え抜いた日々よ 原口のすべて 魅せろ 奮わせろ かっとばせー はーらーぐちー」

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