トム・ディルマンが語るヴァンウォール離脱の理由。重要だったのは「カテゴリーよりも競争力」

 トム・ディルマンは2023年、フロイド・ヴァンウォール・レーシングチームからWEC世界耐久選手権に参戦していたが、シーズン途中でチームを離脱した。彼のチームを去るという決断は、今季2024年にLMP2をドライブする契約を勝ち取ったことで報われたという。

 このフランス人ドライバーは2018/2019年のWEC“スーパーシーズン”からコリン・コレス率いるバイコレスに定着しており、ヴァンウォールのバナーのもとでハイパーカークラスへの参戦が叶った2023年シーズンの最初の4レースではル・マン・ハイパーカー規定(LMH)のノンハイブリッドマシン『ヴァンウォール・バンダーベル680』を駆ってチームのラインアップに加わっていた。

 しかし、チームがル・マン24時間を完走できなかったことを受けて、ディルマンはヴァンウォールを去る決断を下し、モンツァと富士、そしてバーレーンの終盤3レースを欠場した。

 その一方で彼は、AsLMSアジアン・ル・マン・シリーズでLMP2クラスに参戦するDKRエンジニアリングからレース復帰を果たした。そして2024年はPR1/マティアセン・モータースポーツと提携するインターユーロポル・コンペティションとともにELMSヨーロピアン・ル・マン・シリーズとIMSAウェザーテック・スポーツカー選手権の耐久カップ“ミシュラン・エンデュランス・カップ”の両方に参戦する。

 ディルマンはヴァンウォールとの関係を断ち切ったことを振り返り、チームでの努力が充分に認められていなかったと感じたことや、LMP2マシンでの初のフルシーズンへの挑戦を心待ちにしていることをSportscar365に明かした。

「4シーズンにわたってバイコレスでドライブしたけど、ル・マンの後は変化を求め、何かを引き起こそうとしていた時期だったんだ」と語ったディルマン。

「みんなは僕がバイコレスでどんなことを成し遂げてきたのか理解していないと思うけど、ポルティマオでのプライベートテストで初めてオレカ07をドライブした時にすぐに競争力を発揮できた」

「うまくいったから本当にうれしいよ。昔LMP2のレースに何度か出たことはあったけど、フル参戦したことはなかった。リスクを冒したけど、それが報われてとてもうれしいね」

■自身初のLMP2フルシーズンキャンペーンに期待を寄せるディルマン

 ディルマンのLMP2の経験は限られたものであり、2015年にシグナテックからWECに2戦、翌シーズンにエクストリーム・スピード・モータースポーツ(ESM)から1戦のみの参加となっている。

 しかし、12月初旬にセパンで開催された2023/24シーズンのAsLMS開幕戦では、2017年から同クラスの“基準車”となっているオレカ07・ギブソンでの初めてのレースに出場。ディルマンはこの開幕戦でDKRのチームメイトであるアレクサンダー・マッシュール、ローレンツ・ホアとともに同マシンでのレースデビューを果たし、表彰台を獲得することに成功した。

「もちろん、ハイパーカーに留まることが第一希望だったが、LMP2への挑戦と、多くのトップドライバーたちとの競争が非常に激しいことはつねに評価していた」と彼は語る。

「僕にとってどのカテゴリーであるかは重要ではなく、競争力のあるパッケージであることが重要だった」

「これこそ僕が長年見失っていたものなんだよ。僕の目標は、良い週末を過ごせば結果を残せるチャンスがあるとわかっていて週末に臨めるようになることだった。」

「プロフェッショナルとして、つねにベストを尽くし、チームが可能な限り最高の結果を得る一助となることが必要だ。しかし現実的な話をすると、そこに奇跡はない」

 ディルマンが去った後もヴァンウォールの運命は好転せず、開幕戦セブリングでの8位がシーズンの最高成績となった。その後、ハイパーカークラスへのメーカーからのエントリーが大幅に増えるなか、ヴァンウォールは2024年WECへのエントリーを見送られた。

 ヴァンウォールの状況についてどう思うか尋ねられたディルマンは、「彼らは大きな努力をしていただけに、本当に残念だ」と語った。

 「エンジン(チームは、当初のギブソンからピポ・モチュール社製ユニットへ変更しようとしていた)をはじめとして、クルマにやるべきことがたくさんあったが、準備が整わなかった」

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