祝辞に代えて

 受験シーズンも遠くない。今はインターネットで合否が発表されるが、この季節になると詩人、杉山平一さんの「三月」という一編を思い出す。〈トンネルは必ず抜けるものだ/待つものは必ずくるのだ/来たのかもしれない/郵便箱にポトリと音がする〉▲通知が郵便で届いたらしい。〈待つものは必ずくるのだ〉と言い切ってしまう潔さは、受験というものが遠い昔になった身も、不思議と勇気づけてくれる▲きょうは「成人の日」。各地で開かれた「二十歳のつどい」、あるいは成人式で「誰かのために生きたい」「これから恩返しを」と頼もしい誓いが聞かれた。何十年も前の、同じ年頃だった自分のことが、今更ながら小さく小さく思えてしまう▲だからだろう。希望にあふれた言葉を発する若者がまばゆく見え、見上げたものだと感じ入る一方で、どんな未来が待つのか見当もつかず、中ぶらりんでいる若い人もいるのだろうと思いを致す▲楽観主義といえるかもしれない。迷える新成人がいるとしたら〈トンネルは必ず抜けるものだ〉と力強く断言する詩人の言葉を、祝辞に代えてここに贈る▲〈稽古して走る風なし 稽古して咲く花あらぬ うれへず生きむ〉伊藤一彦。風も花も、稽古を積んで季節を運ぶわけではない。憂えず、心で何度か深呼吸をして。(徹)

© 株式会社長崎新聞社