金沢で見た「29年前の大阪」 過酷な避難生活 関連死リスク抑制へ「広域避難」必要

地震から逃れ、避難所で身を寄せる住民ら=6日午後、石川県七尾市(撮影・風斗雅博)

 能登半島地震の被災地を訪れた。石川県穴水町では降りしきる雨の中、行方不明者の捜索が続いていた。救急車の音が鳴り響き、自衛隊車両が列をなして進んでいく。長引く断水で仮設トイレは汚れたまま。携帯電話からの緊急地震速報に身を固くする。

 一方、同じ石川県内でも、県庁がある金沢市は日常そのものだ。一時はコンビニでおにぎりなどが少なくなったと聞くが、飲み屋街は満席で、ここが被災県とは一見して分からない。車で2、3時間進めばたどり着く被災地の緊張感は金沢では感じられない。

 1995年の阪神・淡路大震災を思い出した。同じ1月に起こり、建物の倒壊や火災で多くの人たちが犠牲になった。あのときも大阪に行けば普段とほとんど変わらない日常があった。

 被災地を視察した神戸大名誉教授の室崎益輝さんは、被害の大きな輪島市や珠洲市などから金沢市へ、被災者に広域避難してもらう必要性を指摘する。災害関連死を少しでも減らすためだ。

 半島の道路は寸断され、雨や雪にも阻まれて復旧作業が滞る可能性がある。避難所の環境改善が進まないまま、避難生活が長引くことになれば、関連死のリスクは高まる。

 東日本大震災でも繰り返された過ちを、再び起こしてはいけない。できる手だては何か。神戸から知恵を絞りたい。(上田勇紀)

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