平和都市を表現、交響詩「ながさき」 長響・50年ぶりの演奏へ

50年前の初演時の思い出を振り返り、11月のコンサートへの意気込みを語る渡辺さん=長崎新聞社

 戦後の日本を代表する作曲家、團伊玖磨氏(1924~2001年)が長崎市のために作曲し、その歴史や平和都市のイメージ、希望などが表現された交響詩「ながさき」。1974年3月、長崎市民会館のこけら落としで市民オーケストラ「長崎交響楽団(長響)」が初演し、長崎を代表する名曲が誕生したが、その後は演奏される機会がほとんどなかった。今年は團氏の生誕100年の節目。長響は11月3日に長崎市内で開くコンサートで交響詩「ながさき」を50年ぶりに演奏する。
 この曲は、1970年の長崎開港400年祭で長崎らしいオリジナル曲が欲しいという声が各界から上がり、市が長崎ゆかりの團氏に作曲を依頼。唱歌「夏の思い出」などで知られる江間章子氏が作詞を担当し、完成した。
 第1楽章の「祝典序曲」は現代的でシンフォニックな曲。第2楽章の「平和の泉」は長崎原爆がテーマで、「のどが乾いてたまりませんでした」など石碑に刻まれたある少女の日記の一節からヒントを得たという。第3楽章の「長崎讃歌」は四季折々の祭りを紹介しながら、原爆の惨禍から不死鳥のように立ち上がり、発展していく姿をイメージ。演奏時間は全章で20分ほどになる。
 74年3月の初演時は團氏が指揮を執り、長響団員と客演の奏者ら75人と市内六つの合唱団員が美しい演奏と歌声を響かせ、千人を超える聴衆を魅了した。
 長響の事務局長を務める宮西隆幸さん(69)によると、長響が演奏したのは初演を除けば、同年8月に市内であったコンサートだけ。現在、長響の手元にあるのは判読しずらい手書きの総譜のコピーだけで、演奏に不可欠な各楽器のパートごとの楽譜がなかったためという。
 昨年、総譜と共に初演時のパートごとの楽譜や資料を市が保管していることが分かり、これらを借り受けることで演奏が可能になった。
 本県の西海国立公園を題材にした團氏の交響詩「西海讃歌」(69年)は佐世保などで毎年のように演奏され、親しまれている。交響詩「ながさき」は知名度は低いものの、初演時のプログラムに團氏が「五線紙に向かっている間中、ぼくは年がいもなく涙が止まらなかった」と記すなど情熱が込められた傑作とされる。
 11月3日に長崎ブリックホールで開くコンサートは、長崎新聞社創刊135周年記念イベントとして同社と長響が開催。2025年に本県初開催となる国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭を控え、後世に残したい長崎ゆかりの音楽として交響詩「ながさき」などを演奏する。
 50年前の初演でフルートを演奏した長響団員の渡辺淑子さん(77)=長崎市=は当時26歳。「團さんと江間さんの思いが詰まった美しいメロディーで悲しい歌詞。本番は感動の涙をこらえながら合唱が引き立つように演奏した。『平和な世界になってほしい』。演奏した人も合唱した人もみんな同じ気持ちだった」と振り返る。
 渡辺さんは現在のウクライナやパレスチナ自治区ガザの状況を踏まえ、「今の時代に通じる曲」と指摘。11月のステージは「体力的に私にとっては最後のコンサート。こんなに素晴らしい曲があることを知ってほしいし、平和への願いや長崎がもっと栄えてほしいという思いも込め、演奏を楽しみたい」と意気込んでいる。

長崎市が保管する交響詩「ながさき」の各パートの楽譜を閲覧する長響の宮西さん=市役所

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