難病の高校生ラジオパーソナリティ 諫早の秋山さん 数万人に一人の疾患も、軽快トークで笑顔届け 長崎

ラジオ収録に臨む秋山大輝さん(右から2人目)=諫早市、エフエム諫早

 「18歳になりました。投票できる年齢になりました。(車の)運転免許も取れる。18歳ってすごいですね。一気に世界が広がる」-。昨年12月8日朝、ラジオから楽しげなトークが流れてきた。
 新成人になったことを喜んだ声の主は秋山大輝=長崎県諫早市=。現役高校生という異色のパーソナリティーだ。エフエム諫早が毎週金曜に放送(土曜再放送)し、師匠と仰ぐ上野辰一郎(パーソナリティー名・上野屋)との軽快な掛け合いが人気の「秋山大輝のラジおしゃべり」。子ども食堂を企画した若者らをゲストに招くなどし、地域のホットな話題を届けている。

◆トーク力でレギュラーに

 同市宇都町の収録スタジオ。上野が使うマイクと違い、大輝のそれはテーブルの上で横向きに寝かされている。それには理由がある。

 大輝は、骨形成不全症という難病を抱えて生まれた。骨がもろく、骨折を繰り返し、変形や痛みを引き起こす先天性の疾患。発生頻度は約2万~3万人に1人とされている。今も骨を強くする点滴治療や背骨のゆがみの矯正が欠かせず、日常の移動手段は電動車いす。寝かせたマイクは、体重約18キロの体に合わせた工夫なのだ。

 県立諫早特別支援学校高等部3年生。1年生だった2021年10月、その存在を知った上野が自身のコーナーに呼んだ。「話が面白かった」。感性の鋭さに上野は衝撃を受けた。ゲストのつもりがレギュラーになり、番組名も変わった。

 「ひと言で言うならチャレンジャー。自分を否定せず、いろんなことに挑戦して、できることが増えていくのが楽しいみたい」。そう語ると、あるエピソードを教えてくれた。22年12月の放送。大輝は、その年の2月に平たんな場所から始めた歩行器訓練をリスナーに紹介し、「(以前、下りは)怖いと言っていましたが、(器具を使って)下り坂が一人で行けるようになったんですよ。やりました」と声を弾ませた。この時、歩いたのは傾斜が緩やかな校内の廊下。それでも、「自分の足で歩くのは、それだけで骨折するかもしれない。彼にとっては大冒険。それを生き生きとしゃべっていた」と上野。あの時の大輝の笑顔が忘れられない。

◆真っ暗闇から

 05年12月、父和朗(かずお)、母伴子(ともこ)の長男として産声を上げた大輝は、生まれて間もなく市内の産婦人科から救急車で長崎大学病院に搬送された。手足に変形があったためだった。帝王切開した伴子が動揺しないよう、抜糸の日まで和朗は病気を伝えずにいた。1週間後、医師から告げられた病名。「しばらく先生の声が聞こえないほど頭は真っ白、目の前は真っ暗になった」。伴子は振り返る。

 難病を抱えて生まれた息子の名に、父秋山和朗は「大きく輝いてほしい」との願いを込めた。母伴子は、そんな大輝を毎日ベビーカーに乗せては、目や耳に入るものを言葉にして聞かせた。元気に育ってほしい-。そう祈る日々だった。

 だが、伴子の心中は揺れていた。乳児健診で首が据わった周りの赤ちゃんとわが子を比べてしまう自分がいた。成育状況を確認する母子手帳を遠ざける時期もあった。生後7カ月のころ、家族で歩いた地元の川まつり。ベビーカーの大輝を見た女子高生が擦れ違いざまに発した心無い言葉に心をかき乱された。

 人に傷付いたが、支えてくれたのも、また人だった。打ちひしがれる伴子を恩師は諭した。
 「まずは思いを変えなさい。思いを変えれば言葉が変わる。言葉を変えれば意識が変わる。意識が変われば行動が変わる。行動が変われば未来は変わるよ」

 今、思う。他人と比べそうになったら、わが子が生まれた時と比べよう。あのころからしたら、できるようになったことはたくさんある。他人と比べる必要はない。幸せの形は人それぞれだ、と。

◆「障害」から自由に

 大輝は、文字は右手で書くが、食事は左手を使う。右手は可動域が狭く、口まで届かないからだ。それでも県立諫早特別支援学校では中高の和太鼓同好会の部長として仲間をまとめ、昨年7月には、タイピング技能を測るビジネス文書実務検定試験(全国商業高校協会主催)速度部門2級に合格した。

 挑戦してきたのは、それだけではない。ラジオのパーソナリティー、少しずつステップアップしている歩行器訓練、地元中学の人権集会などでの講話-。講話で大輝は、こんなメッセージを同世代に送っている。「『できるか、できないか』ではなく『やるか、やらないか』。まずはやってみるという考えを僕は大事にしている。難病を持っている僕でもチャレンジしてできることはたくさんある。皆さんもチャレンジしてください」

 「障害があってもなくても、どんな状況になっても、気持ち一つで人生は好転できるんだということを大輝から教えてもらった」と伴子。一方で、和朗と伴子は感じること、考えることがある。

 例えば、大輝のような電動車いすの視点で町を見ると、バリアフリーはまだまだだ。障害者を雇用している企業の保護者見学会で「当社では、(介助なしに)自分のことは自分でできる人だけが就労できます」と言われ、諦めたこともある。就労系の障害福祉サービスも、多くの障害者が利用する就労継続支援B型事業所の工賃は全国平均で月額1万6507円(2021年度)。難病や障害があっても仕事ができ、自立していける環境作り、そして「障害」という言葉さえなくなるような共生社会が進んでいってほしいと願う。

 13歳の時、大輝は「自由」という題の詩を作り、生きる幸せをつづった。今春、学校を卒業後は就労が決まった諫早市内の事業所でパソコンの仕事をしながら、ラジオなど声を使った活動をしていくのが夢だ。「何でもできる『自由』という言葉が好き。夢を追いかけたい」。これから先、困難な道が待ち受けているかもしれない。だがそれ以上に未来は希望と可能性にあふれていると大輝は信じている。

 「兄は家族が暗く落ち込んだときも、明るく支えてくれる存在。兄のように私も(夢に向かって)チャレンジしたい」。そばでそう語る高校1年の妹実優を大輝は照れくさそうに見詰め、そして笑った。
=文中敬称略=

アルバムを囲む(右から)秋山和朗さん、実優さん、大輝さん、伴子さん=諫早市内の自宅

© 株式会社長崎新聞社