安否不明者に次々と追加される知人の名前 能登半島出身の男性「ただ、つらい」

被災した古里を思い、安否不明者の無事を願う小山さん(6日、京都市右京区)

 能登半島地震で被災した石川県珠洲市出身で京都市右京区の高齢男性が、故郷の惨状に心を痛めている。震源に近い地元の馬緤(まつなぎ)町地区はほとんどの家屋が壊れ、親族は避難生活を余儀なくされているという。県が発表する安否不明者名簿には連日、知人の名前が追加される。一変した古里の風景に「ただ、つらい。一人でも多くの命が助かってほしい」と涙をにじませる。

 小山喜久夫さん(87)。次男として生まれ、15歳で京都に働きに出た。地元は製塩が盛んで、海に落ちる夕日を見ながら海水を運んだことを覚えている。実家を離れてからも年一度、帰郷して同級生らと旧交を温めてきた。

 1日午後4時半ごろ、地震を知るとすぐに実家に住むおいの小(こ)秀一さん(60)に電話したが、つながらない。倒壊した家屋や津波の様子を伝えるニュースを見るたびに不安が募り、知人らに電話をかけ続けた。

 3日、現地の通信障害が改善し、秀一さんから連絡が届いた。親族は避難をして無事だったが、地区は大半の家屋が損壊し、崖崩れで道路が通行できず、孤立していると書かれていた。秀一さんの家族ら避難者は学校などに集まっているが、一部はビニールハウスで生活をしていると聞き、「寒い中で避難生活を強いられるのは、あまりにもかわいそう」と思いやる。現地からはガソリンや水、食料が足りないという声が上がっているという。

 石川県が公表する安否不明者の名簿には、親交のあった住職や同級生の家族も含まれている。不安と心配から何も手に付かない。生まれ育った実家も損壊したと聞いた。「四六時中、地震のことを考えてしまう」と絞り出す。

 珠洲市は高齢化が進み、小山さんの故郷、馬緤町地区の人口は約150人だという。「地震がきっかけで多くの人が村を去ってしまうのでは」と危惧する。一方で、「奥能登には辛抱強い人が多い。地震に負けず復興してほしい」と願う。

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