2002(平成14)年1月11日、国内最後の炭鉱となった北海道釧路市の太平洋炭砿の正面ゲートから「太平洋炭鉱の長期存続を」と書かれた看板が撤去され、存続運動のシンボルが消えた。同ゲートなど市内5カ所の看板もすべて外された。同月30日の閉山で、日本の近代化を支えた石炭産業は事実上、国内から姿を消した。
<あのころ>炭鉱存続のシンボル撤去 石炭産業が終えん
- Published
- 2024/01/11 07:30 (JST)
- Updated
- 2024/01/11 07:47 (JST)
2002(平成14)年1月11日、国内最後の炭鉱となった北海道釧路市の太平洋炭砿の正面ゲートから「太平洋炭鉱の長期存続を」と書かれた看板が撤去され、存続運動のシンボルが消えた。同ゲートなど市内5カ所の看板もすべて外された。同月30日の閉山で、日本の近代化を支えた石炭産業は事実上、国内から姿を消した。
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