端島閉山50年 元島民を調査 住環境を聞き取り視覚化 長崎総科大・橋本研究室

櫻井さんが描いた1960年代前半の鉱員住宅のイラスト(橋本研究室提供)

 長崎市の長崎総合科学大工学部工学科建築学コースの橋本彼路子教授(建築計画)研究室が、15日で炭鉱閉山から50年を迎える同市の端島(軍艦島)の元島民に聞き取り調査をし、当時の住環境を視覚化、記録化する研究を進めている。
 周囲1.2キロほどの小さな島に鉄筋コンクリート(RC)造の高層アパート群が立ち並んでいた端島。1960年、人口が5千人を超え、世界一の人口密度を誇った。元島民の高齢化が進み、当時の住生活を聞く機会は減少している。
 同研究室は昨年6月から11月にかけ、60、70代の元島民の男性の話を聞いた。着目したのは島内で繰り返された「引っ越し」。同大教授だった片寄俊秀氏らの調査・研究によると、炭鉱を運営した三菱は間取りや階数、日当たりなどで住居をランク分け。鉱員らの職種や家族構成など点数制で転入居基準が決まっていた。
 例えば、聞き取りをしたAさん(70)は島で暮らした12年間で計4回の引っ越しを経験。最初は非鉱員が入居する「39号棟」だったが家族が増えたため、父親が給料の良い鉱員に転職。弟や妹の誕生などに伴って引っ越しを重ね、最終的に日当たりの良い「65号棟」東棟6階で生活した。
 橋本教授は「点数制は、住環境の良い住居に住めるという仕事へのモチベーションや、生産性を高める狙いがあった」と考える。
 調査では1960年代前半の家具の配置など、現存する図面の資料に残されていない情報も知ることができた。聞き取った内容などを基に同研究室の櫻井淳太さん(22)=4年=が大正、昭和中期、閉山前と時代ごとにイラスト化した。

元島民への聞き取り調査の状況などについて研究室の学生らと話す橋本教授(左から2人目)=長崎市網場町、長崎総合科学大

 橋本教授は、最先端の技術を使って操業時の暮らしを疑似体験する、日英の歴史研究者らのプロジェクトにも関わり、調査で得たデータを共有したいとする。
 一方、柱や梁(はり)といったコンクリートの構造体に木造をはめ込む手法などにも注目。仮想空間に鉱員住宅を再現し、ネットの技術を活用しながら、美術館など空間活用を提案する研究も続ける。橋本教授は「島民の貴重な経験をしっかりと記録に残すことは長崎で今やるべきこと。次年度以降も聞き取りを続けたい」と話している。

© 株式会社長崎新聞社