「無罪判決を聞いていただきたかった」巖さんの姉・ひで子さん無念 「袴田事件」西嶋勝彦弁護団長死去に関係者「長い間ありがとう」

1966年に静岡県旧清水市(現静岡市清水区)で起きたみそ製造会社の専務一家4人が殺害された事件。死刑が確定している袴田巖さん(87)の弁護団長を長年務めた西嶋勝彦弁護士(82)が亡くなったことについて、弁護団と支援団体が1月13日夜、静岡市内で会見を開きました。

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亡くなった西嶋弁護士は2004年から袴田事件の弁護団長を務め、2023年10月から始まった再審公判では主任弁護士を担当していました。

弁護団によると西嶋弁護士は1月5日に行われた弁護団の会議でも、主張の論点を整理するなど、いつもと変わらず指揮を執っていましたが、7日朝、自宅で倒れ、運ばれた病院で亡くなったということです。

13日夜に行われた会見には、再審公判の副主任を務める小川秀世弁護士と支援団体の山崎俊樹事務局長が出席、さらに袴田巖さんの姉・ひで子さん(90)がリモートで参加し、西嶋弁護士に感謝の言葉を述べ、故人を悼みました。

<袴田巖さんの姉・ひで子さん>
西嶋先生とは(2023年)12月の裁判のときは、裁判所の控え室で冗談を言って笑って話をしたんですよ。だから、そんなに早く逝っちゃうとまさか思わなくて、たぶん無理して静岡まで来ていたのではと、いまは思う。

車で、静岡に1泊して、翌日帰るということでしたので、なかなか大変だと思っていましたが、話をしていると冗談を言うんですよ。控室で笑い合っていたのが12月20日なんですよ。

西嶋先生には、長い間本当にいろいろお世話になりました。本当に長い裁判ですから、長い間、ごくろうさまでした。ありがとうございます。もうこれしか言うことはないですけれど、それに巌の無罪を多分、もう判断はしておいでになったと思う。これは大丈夫だと思っていらっしゃったと思う。それだけは安心でございますが、まったくの話、無罪であるということを聞かせて、巖も、もちろんですが、西嶋先生にもお聞きになっていただきたかった。これは残念です。それでもしょうがございません。本当にありがとう、ということだけしか私の言葉では申し上げられません。

「判断が的確で重みがあり 引っ張っていただいた」

<袴田弁護団 小川秀世弁護士>
1月7日、西嶋先生がお亡くなりになりました。82歳でした。ずっと酸素ボンベをつけて家の中でも動けていたそうなんですけれど、お手洗いに立って、朝、息子さんが倒れているのを発見した。その時点では心肺停止で救急車を呼んで、すぐ病院に運んだんですけれど、一旦脈が戻ったことはあったみたいですけれど、亡くなられたということで、自宅で亡くなられたという判断です。警察では検視をしたと聞いています。

息子さんと一緒に暮らしていたわけですけれど、ご家族の意向で葬儀が終わるまでは公表しないでいただきたいということで、きょう、千葉県野田市で葬儀が行われ、山崎さんに代表で行っていただいた。家族葬で小さな形で行われたと聞いています。

西嶋先生は、多分、今年の夏過ぎには必ず無罪の判決をいただけると確信していたわけですし、西嶋先生もそれを本当に待っていたと思うので残念です。西嶋先生としても悔しい思いだったと思います。

西嶋先生は、法律事務所に入られて、ずっと刑事事件を主に担当されてきた。島田事件が継続していた関係で、実は袴田事件はそれまで中断していたようなところがありますが、平成2年に正式に袴田事件の弁護団に入られて、その時はまだ一次再審の時ですけれど、その後、島田事件が終わり、袴田事件の最高裁の棄却決定が出た時から、その後、弁護団長として弁護団を引っ張っていただいた。

西嶋先生は、弁護団長になられても議事の進行役をずっとやられていた。袴田事件でも議論の中であれこれ言う人ではなかったが、判断が的確で重みがあって、我々としては最後になかなか収拾がつかない時に、こういう判断でいこうじゃないかと我々を引っ張っていただいた。

これからのことなんですけれど、西嶋先生がいま現在、主任弁護人という形で裁判所に登録してあり、裁判所にはこれから手続きを取らないといけないが、弁護団の体制をどうするか率直にまだ議論をしておらず未定です。私は副主任をやっているわけですけれど、副主任がいれば弁護活動自体は滞りなくできるので、皆と力を合わせて早く無罪を勝ち取れるようにやっていきたい。

「本当に無念だったろう」

<支援者団体の事務局長・山崎俊樹さん>
1月7日に私は西嶋先生にメールを送った。午後8時半ぐらいかな。そしたら息子さんからメールが入っていまして、気づくのが翌日の1月8日の朝でした。小川先生から電話がかかってきて朝6時ぐらいに「西嶋先生が倒れた」と。それで、すぐ息子さんに連絡したら「いま、病院にいる」と。正式にお亡くなりになられたのは、1月7日午後11時17分。心肺蘇生の措置を病院でやってもらったら一旦は心臓が動き出したということでした。ただ、長い間止まっていたので弁護活動は無理だろうと病院から言われたとおっしゃっていました。その後、再び心臓が停止して1月7日午後11時17分が死亡の日時になります。ご遺体は1月8日午前中まで病院に安置されて、ご自宅に帰ってこられたので、その日のうちに私と小川先生と2人でご自宅まで訪問しました。私も何と言っていいか分からない状態でした。

西嶋先生は体調が悪い中でも再審公判に来られていまして、だいたい前の日に来られて、公判が終わった日はもう1泊されて朝帰られるという生活を過去5回行われていたわけですね。ですので、本人は本当に無念だったろうなと思います。再審無罪の声を聞かせてあげられなかったのは残念でなりません。

息子さんも「弁護団は再審公判に注力してください」というメッセージをいただいておりましたので、きょう(葬儀に)参列して、家族と親戚、縁の深い人だけのささやかな式でしたけれど、西嶋先生の姿を見てきて、あらためて、もうちょっと早く再審無罪の声を聞かせてあげたかったと思います。

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