軍艦島 ~閉山50年、節目の年に亡き妻へ~

ちょうど10年前の刊行物
「軍艦島離島40年」

1999年に25年ぶりの同窓会、端島へ渡った。その際、風化する島の現状に衝撃を受け、島の保存を考える。そして、2003年にNPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」設立した。

産業廃棄物の島になる運命だとしたら、軍艦島(端島)をその漆黒の闇から唯一手を差し伸べられる道が有る。とすれば、「可能性がゼロでない限り意味がある」その1パーセントに「世界遺産」という途方もない夢に人生をかけてみた。

そのきっかけは20年前・・・

この活動を一番最初に支えてくれたのが、昨年旅立たった妻であった。「あなたの夢を追って見れば」と彼女の言葉に途方もない夢に向かい始めた。

「軍艦島と呼ばれた島、端島」

可能性がゼロでなければ、夢を追いかける応援であった。

現在はたくさんの軍艦島ツアーに長崎に国内、海外からも訪れる。

この軍艦島(端島)と私の家内との物語を語って行きたい。観光の向こうにあった端島の物語を少しだけ聞いていただけば、妻の供養と知らない端島を感じていただければありがたいです。

今回はご挨拶だけですが、ゆっくり語っていきます。

昨夜はタイチ寿司にて取材だった。翌日、私と妻(裕美子さん)の共通の端島からの友人から不思議なメールが届いた。

裕美ちゃんの夢みたよ!

知らない町だったけど、裕美ちゃんがどんどん連れて行ってくれて、

雑貨屋さんとかお店も見たりして、

最後はお寿司屋さんで凄く広いカウンターで、

裕美ちゃんお酒まで頼んでたとこで目が覚めた!

古き友人からのメール

タイチ寿司での語らい

彼女はタイチ寿司など知らないし、取材の話もしていない。きっと、家内は一歩を踏み出した私の応援にタイチ寿司に来ていたのかもしれない。タイチ寿司は、端島にあった厚生食堂の息子さんのカウンターのある寿司屋である。

ありがとう。母さん、そして友人に。

小さな一歩を踏み出そう・・・

心の目で、うなずきながら私を励ます母さん(妻)が見える。「さあ、踏み出して。できるから。一緒にいてあげるから」と言われている思いがする。端島を語って欲しいと言っている家内がいる。

50年前の1月15日、端島炭鉱は閉山を迎えた。

(つづく)

ひと~坂本道徳~

これまでの寄稿は、こちらから(https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=21)

寄稿者 坂本道徳(さかもと・どうとく) NPO法人 軍艦島を世界遺産にする会 理事長

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