率直な思いは「遅くなって申し訳ない」 能登半島地震で派遣、京都の消防隊員「人ごとでない」

石川県珠洲市の家屋倒壊現場で活動する乙訓消防組合の隊員ら(同組合提供)

 石川県で最大震度7を観測した能登半島地震から15日で2週間となる。この間、乙訓消防組合からも救助やその支援で消防隊員らが被災地に派遣された。発生当日からの第1次緊急消防援助隊京都府大隊救助小隊の隊長を務めた長岡京消防署の竹内啓さん(38)に被災の現実や市民が持つべき心構えを聞いた。

 竹内さんら乙訓消防組合の5人は発生当日の1日夜に同署を出発。京都府内の消防本部の隊員らとともに4日に石川県珠洲市で救助活動や安否確認を行い、5日に同署に帰ってきた。一方、道路状況が悪くてすぐに現場に入れず、もどかしさも感じた。

 「2日朝に金沢市の石川県消防学校に到着したが、この日は待機となった。地震で土砂崩れや道路の陥没などが発生し、先遣隊が通行できる道について情報収集する必要があったためだ。3日午前中に(半島中央部の)穴水町に入ったが、その後は対向車とすれ違えないような細い道を進み、活動場所の(半島最北端の)珠洲市にようやく入れたのは4日午前0時10分だった」

 4日午前は山の中に位置する若山町で、1階部分がつぶれた家屋の下敷きになった高齢女性の救出活動に当たった。木造家屋の多いエリアだ。女性は亡くなっていた。

 「(救助で生死を分けるタイムリミットといわれる)『72時間』が過ぎようとしている頃だった。ご遺族からは感謝の言葉をいただいたが、私の率直な思いは『遅くなって申し訳ない』だった」

 「活動中も余震が続き、二次災害に遭わないよう横揺れを感知する機器を使って警戒した。また、倒壊家屋がどう崩れてくる恐れがあるか、事前に検討するのが難しかった。1時間あればお体を引き出せると思ったが、余震で2度中断し、実際は1時間半を要した」

 午後は海に近く、津波被害があった宝立町鵜飼地区で安否確認をした。

 「近隣住民に声をかけ、『避難所に身を寄せている』『既に亡くなられた』といった事実を、一つ一つ確認した。こうした作業は救助活動の計画を立てるためにも必要。東日本大震災と比べると、性能が良い地図アプリがあり、捜索救助に役立てられると思った」

 「午前中の若山町と比べると新しい家が多かったが、救助用の機材を載せた台車を動かせないほど、がれきが道路をふさいだ場所もあった。海から数百メートル離れた街中で大きな魚の死骸を見つけ、津波の大きさを感じた」

 今回の地震に特徴的な被害や救助活動の難しさなどがある一方、災害への備えの大切さは共通する。

 「倒壊家屋から生存者を救出した別の隊から聞いた話では、被災者は近くにあった布団にくるまってなんとか寒さをしのいでいたとのことだった。普段、電気やガス、水道が止まるのはイメージしにくいかもしれないが、冬は体温低下のリスクがあり、寒さを防ぐ備えは必要。また『自分は大丈夫』という正常性バイアスは、避難の遅れなどの危険につながる。人ごとではないという意識を持つことが大事と再確認した」

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