端島閉山50年

 鉱員とその家族780人が式典に臨んだという。「孤島で荒波に鍛えられてきた精神で第二の人生のスタートを切りたい」と鉱員代表が語り、目を潤ませる姿も見られた、と50年前の本紙は報じている▲記憶の底に、その日の残像を刻む方もおられるだろう。紙面には、学校の運動場で小中学生が形作った「サヨナラ ハシマ」の人文字の写真もある。1974年1月15日、長崎港沖合の端島で炭鉱が閉山した。きょうで半世紀になる▲10年ほど前、許可を得て島内を見学した。大正期に建てられた鉄筋アパートは壁が崩れ、がれきが散らばるが、100年も風雨に耐えたことに目を丸くした覚えがある▲アパートの室内には、ちゃぶ台、食器、新聞も残り、そこだけ時間が止まって見えた。端島は閉山から程なくして無人島になる。住民の多くが再就職の口を探すのに必死で、取るものも取りあえず島を去ったと、のちに知る▲時が静止した空間は、住民の時間が目まぐるしく過ぎた痕跡でもある。大多数が慣れない土地で、慣れない仕事に大変な苦労をしたと聞く▲石炭は真っ赤に燃え、やがて見えなくなり、空へ昇る。炭鉱という産業の“一生”にも思える。島の風化はさらに進むが、炭鉱史と、最多で5200人もの暮らしがあったという記憶の火は絶やすまい。(徹)

© 株式会社長崎新聞社