能登半島地震、発生から124時間後に90代女性を救出 県警小隊長が語る現場の状況とは

報道陣に被災地の状況を説明する県警機動隊の倉田小隊長。「日々の訓練を継続して行っていく必要性を感じた」と振り返った(大津市・滋賀県警本部)

 1日に発生した能登半島地震で、滋賀県警の広域緊急援助隊として被災地で住民の捜索活動にあたった機動隊小隊長の倉田文裕警部補(37)が1月11日、報道陣の取材に応じた。道路の損壊が激しく、被災地入りに時間がかかったと説明し、発生124時間後に生存者を救助した経験などを報告した。

 滋賀県警は地震発生直後に被害情報の収集に携わるヘリコプターを現地入りさせるなど、各部署から職員を派遣した。倉田小隊長ら県警広域緊急援助隊の隊員25人は4日未明に車で滋賀を出発し、金沢市で石川県警と合流。5日午前3時から同県珠洲市に向かった。

 「倒壊家屋が多いのはもちろんだが、道路の地割れがひどかった。助けを求めている人のところに一刻も早くたどり着きたかったが、通常の倍ぐらいの時間がかかった」

 歯がゆさを感じながら珠洲市に到着し、活動を開始したのは5日午前8時半ごろ。市内では、4班に分かれて安否不明者を確認するための情報収集に当たった。地図を片手に1軒1軒回り、避難所にも赴いた。地域の結び付きが強い場所だったことが幸いし、住民への聞き込みをもとに、滋賀県警部隊が担当するエリアの100世帯以上の無事を確認できた。「心から安心した。同時に、交番の警察官が日々巡回して地域の情報を確認することの重要性を再確認した」と振り返る。

 倉田小隊長は13年前には東日本大震災の被災地に派遣された。その後も紀伊半島豪雨などで災害救助に関わり、昨年から現場を率いる小隊長となった。若い隊員だと20代前半。「初めて災害現場に行く隊員も多かった。現場では毎日余震が発生し、もし隊員に何かあったらと常に考えていた」。過去の経験や日頃の訓練を生かし、安全確保に気を配った。

 6日午後4時ごろ、付近の部隊から応援要請が入った。倒壊家屋から生存者が見つかったという。県警部隊は投光器の設営や搬送経路の確保に尽くした。発見されたのは90代の女性。その場にいた全員が声をかけ続け、地震発生から124時間が経過する中での救助に成功した。

 活動中、出会った住民が声をかけてくれた。8日夜、滋賀に戻ると、派遣支援へのお礼の電話があったことを知った。「励ましの言葉があったから全力で最後まで活動することができた。今後も現場を想定した訓練を行っていく」と、被災地に思いをはせた。

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