救出の3人すでに死去「きれいな姿で遺族に届けたかった」 能登半島地震で派遣された消防隊員が振り返る

能登半島地震での活動内容を振り返った福知山市消防本部の隊員ら(市役所)

 能登半島地震の緊急消防援助隊府大隊として石川県珠洲市に派遣されていた京都府福知山市消防本部の隊員が、道路の寸断で現場移動が困難だった震災直後の様子を振り返った。相次ぐ余震で家屋の倒壊や道路の損傷が刻々と変化する状況に翻弄(ほんろう)されたといい、隊員らは「要救助者の元になかなかたどり着けず、もどかしい思いが募った」と口をそろえた。

 1~4日に現地入りした牧野孝昭さん(44)は、レスキュー隊の資機材の運搬に当たった。道路が各所で寸断されていて想定した経路が使えず、現地の消防署員に何度も別の経路を探してもらいながら救助先に小型消防車を走らせたという。「倒壊した家屋から3人を救出したが、全員がすでに亡くなっていたのは残念だった。何とかきれいな形で遺族に届けたいという一心だった」と話した。

 隊員の宿営地の運営を担った吉良文雄さん(50)は、金沢市から珠洲市に入るのに11時間を要したといい、「想像以上に移動が困難だった」と振り返った。建設会社の倉庫に宿営地を設け、持ち込んだ水で隊員の服の汚れを落としたり宿営地を掃除したりして衛生管理に気を使った。

 4~7日にレスキュー隊を支援した岸本航也さん(49)は「救出現場は家族が立ち会うことも多く、亡くなっていた時にどう声をかけようかと悩んだ」という。7日には93歳女性が124時間ぶりに救出された現場に立ち会った。雨でぬかるんだ地面に板をひいて搬出経路を確保し、「無事に助け出されて本当に良かった」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。

 府大隊の中には道路状況を踏まえ、消防車からミニバンに乗り換える隊もあったという。3人は「陸路が寸断された場合に何ができるかを考えておく必要がある」と話し、想定外に備える重要性を再認識していた。

 3人はDMAT(災害派遣医療チーム)として石川県立中央病院(金沢市)で傷病者の受け入れ調整を担った福知山市民病院の北川昌洋医師(49)とともに11日、大橋一夫市長に活動内容を報告した。

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