かつては試合ごとに背番号が変動していたサッカー。その影響もあってポジションごとに数字のイメージがあり、あまり大きなナンバーを選ぶことは多くない。
今回はそんな中で「奇妙な大きい番号を着けていた選手」を6名ピックアップした。
トミー・オー
番号:121番
チーム:オーストラリア代表
トミー・オーがオーストラリア代表のデビュー戦で121番を着用していた裏には、とても奇妙な状況があった。通常サッカーでは背番号が3桁になることはない。ただ、彼の場合はルール上そうせざるを得なかった。
アジアカップ予選でオーストラリアは代表の候補として多くの選手を登録していた。オーは16歳だったころにそこにリストアップされていたが、協会としてはまさか彼を招集することになるとは思っていなかったのだ。
急成長を遂げたオーが代表に選ばれたとき、それ以下の番号が全て埋まっていたこともあって変更もできず、121番目の選手としてプレーしなければならなかった。
ロナウド
番号:99番
チーム:ミラン
世界で最も優れていたストライカーの一人であるブラジル代表のロナウド。クルゼイロで衝撃的なデビューを果たし、それからPSVアイントホーフェン、バルセロナ、インテル、レアル・マドリー、そしてコリンチャンスなどでエースナンバー「9」を背負った。
彼が特殊な状況になったのは2007年に加入したACミラン。クラブの象徴的な存在であったフィリッポ・インザーギが9番を使っていたことから、ロナウドはそれを9つ重ねて99番にしたのだ。
現在では99番も珍しいものではなかったものの、この時代にはとても奇妙なものであった。
ビセンテ・リザラズ
番号:69番
チーム:バイエルン・ミュンヘン
フランス代表の左サイドバックとして長く活躍したビセンテ・リザラズ。同じ国のウィリー・サニョルとともにバイエルン・ミュンヘンを長く支えた選手としても有名だが、その中で引退間際の2年間の背番号は「69」であった。
これは特に卑猥なジョークではなく、身長が169cm、体重が69kg、そして生まれた年も1969年ということがあった。使っていた時期は短いが、あまりのインパクトにこのイメージが強くなってしまった。
ニクラス・ベントナー
番号:52番
チーム:アーセナル、サンダーランド
優等生的な選手が多くなっている現代サッカーにおいて異彩を放った問題児ベントナー。奇妙な行動でつねにメディアを賑わせ、本人も何も悪ぶることなく堂々と過ごしていた。
彼が2009年に背番号を変えたとき、なぜか26番から52番になった。報道によれば週給が5万2000ポンドになったためだとのことだったが、これはウソだった。
後にベントナー本人が明かしたところによれば、彼の母親が親密だったプロの占い師が「26は2+6で8になる悪魔の数字。5+2は7になる幸運の数字」と言ったためだったそう。7はすでに埋まっていたのて52にしたとか。他に足して7になる数字はなかったのか…。
デクラン・ライス
番号:41番
チーム:アーセナル、ウェストハム
2023年にウェストハムからアーセナルに加入したデクラン・ライス。その移籍金は1億ポンドを超えており、まさにプレミアリーグの歴史に残るようなビッグプレーヤーの取引となった。
彼が愛用しているのが41番で、ウェストハムでも長年着用し、そしてアーセナルでも引き継いだ。その理由はただ「アカデミーの時にたまたまランダムで割り当てられたものをそのまま使っている」だけだそう。
しかしデクラン・ライスはかなり迷信を信じているタイプであるらしく、「ライス41」の響きも気に入っており、このまま引退まで使っていきたいと考えているそうだ。
イバン・サモラーノ
番号:1+8番
チーム:インテル
インテルで生まれたナゾの背番号はイバン・サモラーノが着用したものだ。9番に強烈なこだわりを見せていた彼は、チーム内での玉突きによってそれを着用できなかった。
ロベルト・バッジョが加入したことで10番が奪われたロナウドは、9番を着用したいとクラブに要請。その結果サモラーノは愛するナンバーを選択できなくなり、1+8というシャツを着始めた。これはもちろん1+8が9であるためである。