涙の別れ「白山で頑張る」 輪島の中学生集団避難

バスの中から見送りの家族に手を振る生徒=17日午前8時51分、輪島市の道の駅輪島「ふらっと訪夢」

  ●258人、期待と不安 保護者「さみしい」「気付けてな」 

 「白山で勉強を頑張る」「体に気を付けてな」。旅立つ子どもも、送り出す親も期待と不安の入り交じった表情を見せた。17日、能登半島地震で被災した輪島市から中学生258人が白山市に集団避難した。学びの機会を確保するための異例の試みで、親元を離れ集団生活を送る。突然訪れた2カ月の別れ。新たな土地での暮らしへ気持ちを入れ替えて出発したわが子を見送りながら、保護者はさみしさも募らせた。

 輪島市からの集団避難の対象は、輪島市内の全3校401人のうち、希望した1年生73人、2年生81人、3年生104人。白山青年の家で3年生と一部の1、2年生の合わせて120人、白山ろく少年自然の家では1、2年生138人が生活する。

 授業開始は週明けの見込みで、3年生は全員が白山青年の家で学習し、1、2年生は白嶺中、鳥越中、鶴来中の校舎で学ぶ。輪島の3校から校長を含む教員25人が引率した。生徒の心のケアのため、スクールカウンセラーを配置し、週末は保護者と会う機会を設ける。市は集団避難での生活を2カ月と想定するが、被災地の復旧が遅れれば延長も検討する。

 17日午前、白山市に向かうバスの出発地点の一つとなった、輪島市の道の駅輪島「ふらっと訪夢」には、勉強道具と着替えを詰め込んだ大きなバッグを持った生徒と、その家族が続々と集まった。

 久々の同級生との再会を喜ぶ生徒の傍らでは、涙を流して息子や娘を抱きしめ、しばしの別れを惜しむ保護者の姿があった。

 輪島中1年の沖崎日愛汰さん(13)は「勉強に遅れたくない。不安はない」ときっぱり。隣では、母親の真由美さん(51)は「さみしさはあるが、子どもの決断を尊重したい」と話した。

 「友達が行くから集団避難を希望した。音楽の授業が楽しみ」と語ったのは、輪島中2年東野葉月さん(14)。母親の沙由里さん(43)は「こっちにいるよりはいいが、今まで子どもと離れたことがないので不安」と娘が乗り込んだバスを見つめた。まな娘を送り出した河井町の蒔絵師坂口政昭さん(61)は「体こわさんと、はめはずさんと、頑張れ」と激励した。

 輪島市内では、中学校と同じく避難所となっている小学校も再開のめどが立っていない。高校受験を控える中学生と小学生の子がいる40代の母親は「この先を考えると心配ごとだらけ。一日も早く子どもが元気に過ごせる輪島に戻ってほしい」と早期復旧を訴えた。

 小川正市教育長は「大変な選択をさせてしまったことをおわびする」とし、輪島市に残る生徒の学習環境を整える考えを強調した。

 

  ●期間延長「心構えを」 三宅島の元校長、ストレス対応が重要

 大規模災害時に子どもが一斉に保護者から離れて避難するのは異例。2000年に伊豆諸島の三宅島(東京都三宅村)の噴火で全島避難となった際には、小中高生約360人が旧都立秋川高(あきる野市)で寮生活をしたことがあった。

 当時の状況を知る東京都立三宅高の元校長松尾駿一さん(80)は「見通しがつかないことへのストレスが大きな問題になる」と語る。

 避難当初は小中高校生約360人が東京都あきる野市で寮生活をし、授業を受けた。10日ほどで帰れるとの期待もあったが、半年、1年と延び、人数を減らしながら約4年半続いた。

 松尾さんは「避難が延びるたびに生徒も教員も落胆した。今回も『2カ月で終わらないかも』との心構えが必要だろう」とみる。集団生活では、友達の知らなかった一面が見えて仲たがいにつながることもあるという。カウンセラーがいるだけでは誰も相談に行かないため、悩みを打ち明けやすい雰囲気を醸成することも重要だとする。

 防災教育学会会長の諏訪清二・兵庫県立大客員教授は、被災地にとどまる子どもにも、デジタル端末による遠隔授業などで集団避難と同程度の学習環境を整えるべきだと強調。「教員も被災しており、全国から教員を送って勉強を教える仕組みが必要」と指摘する。

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