【中原中也 詩の栞】 No.58 「冬の日の記憶」(詩集『在りし日の歌』より)

昼、寒い風の中で雀を手にとつて愛してゐた子供が、
夜になつて、急に死んだ。

次の朝は霜が降つた。
その子の兄が電報打ちに行つた。

夜になつても、母親は泣いた。
父親は、遠洋航海してゐた。

雀はどうなつたか、誰も知らなかつた。
北風は往還を白くしてゐた。

つるべの音が偶々(たまたま)した時、
父親からの、返電が来た。

毎日々々霜が降つた。
遠洋航海からはまだ帰れまい。

その後母親がどうしてゐるか……
電報打つた兄は、今日学校で𠮟(しか)られた。

【ひとことコラム】幼い子どもの死。兄や父母の思いとは裏腹に、自然の営みも人間社会の営みも変わらず続いていきます。その子が雀に注いだ愛情も雀の存在とともに忘れ去られていく中、その記憶を詩に刻もうとした一篇です。中也が弟・亜郎(あろう)を亡くしたのは小学校一年生の一月のことでした。

中原中也記念館館長 中原 豊

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