〈1.1大震災〉安堵「やっと寝られる」 珠洲から富山へ避難の44人

富山市職員から滞在中の注意事項について説明を受ける避難者=富山市内のホテル

  ●ホテル到着、先見えず不安の声も

 「やっと寝られる」「とにかく風呂に」。富山市内のホテルに集団で避難した珠洲市大谷地区の住民44人は20日、ほっとした表情を浮かべた。地震発生後、避難所で過酷な生活を強いられてきた被災者。安堵の一方で住み慣れた地域を離れ、先行きの見えない生活が始まることに「この先どうしていけばいいのか」と不安を募らせる姿も見られた。

  ●約20台で6時間、受け入れに感謝

 バスや自家用車など約20台で約6時間かけて珠洲から富山市内のホテルに到着した一行は、大きな荷物を抱えて続々とチェックインに向かった。市職員がブースを設けて滞在中の注意事項を説明し、保健師が体調を確認した。

 一行は珠洲市の避難所の一つ、大谷小中に身を寄せていた。家族5人で移った石田武志さん(68)は「体育館での寝泊まりや簡易トイレの生活はかなりきつかった」と受け入れに感謝した。ただ、自宅は倒壊しており「再建は難しいだろう。これからホテルで考えていきたい」と険しい表情を見せた。

 「持病を抱える主人の体調が心配だった。とりあえず、ほっとしている」。夫と2人暮らしの大兼政律子さん(76)は、生活環境の改善に胸をなで下ろした。曹路地(そろじ)智広さん(51)は「話し相手になる知り合いがいて、気持ちの支えになる」と前を向いた。

  ●戻りたくても戻れん

 能登半島の「最果て」にある珠洲市。復興への道筋は見えない。夫ら家族3人と避難した垣内さちこさん(85)は自宅が傾いて住めなくなり、周りの住宅にも大きな被害が出た。「このホテルにいつまでおるんか。でも、大谷に戻りたくても戻れん」と声を落とした。60代の男性は「生まれてずっと大谷。出発前に写真をたくさん撮ってきた」と寂しさを募らせた。

 県外の2次避難所への集団移動をためらう住民もいたが、大谷小中の避難所を運営する市議の川端孝さん(60)が「いつまでも校舎で避難生活を送るわけにはいかない。より安全な場所で暮らしてほしい」と説得したという。

 大谷小中は3学期が始まっており、富山市内のホテルに向かう住民の中には、中学生に当たる8年の長女を金沢へ集団避難させる一方、3年の長男を数日に1回、富山から大谷小中へ通わせるという40代女性もいた。

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