〈1.1大震災~連載ルポ〉父奪った1.17、家失った1.1 それでも「復興はかなう」

能登半島地震で損壊した自宅にブルーシートをかぶせる惣田さん。父・一男さんの遺影を持ち出し、納屋にしまった=16日午後2時20分、珠洲市正院町平床

  ●珠洲・惣田さん 29年前、蔵人出稼ぎで亡くす 9人集う中、被災

 29年前、神戸にいた父親の命を奪った大地のうねりが、今度は住む家を壊していった。1995年の阪神大震災で父一男さん=享年(62)=を亡くした珠洲市の惣田(そうだ)亜喜夫さん(61)=正院町平床=は、元日の能登半島地震で自宅が損壊した。避難所で迎える「1.17」。容赦なく襲う揺れに胸が苦しくなる。それでも「神戸がよみがえったように、能登の復興はかなう」と信じている。(珠洲支局長・山本佳久)

 95年1月17日、早朝の大都市圏で最大震度7を観測した揺れは、神戸市東灘区の酒造会社へ出稼ぎに来た奥能登の杜氏(とうじ)や蔵人(くらびと)らを襲った。剣菱(けんびし)酒造の中蔵は一瞬でがれきの山と化し、蔵人の一男さんは亡くなった。

 当時、テレビでは犠牲者の氏名を伝えるテロップが流れていた。文字は「惣」ではなく「総田一男」。携帯電話が一般的ではなかった時代で連絡が取れない。どうか人違いでと願い、父と思いたくなかった。数日後、神戸に向かったおじから「兄貴が亡くなった」と自宅に連絡があり、父の死が現実になった。

 惣田さんは「あの時のショック、悲しみはきのうのことのようや」と振り返る。いつか神戸にある犠牲者の慰霊碑に手を合わせたいと思いながら果たせないでいる。「テレビで見る神戸の街はきれいになったけど、今も心を痛めている人は多いんやと思う」と話す。

 能登半島地震が起きた1日、惣田さんは同居する母はるさん(86)、妻好恵さん(61)、次男将司(しょうじ)さん(31)に加え、金沢から長男の大将(だいすけ)さん(34)が妻や娘2人を連れ、東京からは三男の将弘(まさひろ)さん(26)が帰省し、にぎやかな正月を過ごしていた。

 家族は無事だったが、家は窓ガラスが割れて傾き、避難所に身を寄せている。

 地震発生から16日目、寸断された道路の復旧が徐々に進み、自宅の近くも車が通れるようになった。「震災で横倒しになった神戸の高速道路も元に戻った。能登もきっと立ち直ることができる」と繰り返し口にする惣田さん。家族を失った悲しみを胸に過ぎた29年。「能登はこの困難を乗り越えられるはず」との言葉は、誰よりも力強く聞こえた。

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