●被害に絶句も「何としても続けていく」/貯蔵庫の道寸断
能登半島地震で、昨年3月に国登録無形民俗文化財となった魚醤(ぎょしょう)「いしる・いしり」の製造現場にも大きな被害が出ている。能登町では貯蔵タンクの4割が壊れ、年内休業を余儀なくされた大手や、貯蔵庫に行く道路が寸断された老舗がある。今年は仕込み時期も見通せず、関係者は焦りを募らせている。
●年内の休業決める
ヤマサ商事(能登町小木)では二つの倉庫で二百数十個のタンクを2段に重ねて保管していた。奥能登で最大の製造量を誇る会社で、毎年80~90個分を出荷するが、今回の地震で少なくとも50個が破損。年内の休業を決めた。
倉庫内はタンクから流れ出た大量の魚醤で、床は茶色く染まり、イカの発酵した臭いが立ち込めている。山﨑晃一社長(50)は「倉庫を見た時は絶句したが、建物は全壊を免れた。製造は何としても続けていく」と話した。
●「水道復旧しないと」
いしりを戦前から生産するカネイシ(同町小木)はタンク被害は小さかったものの、貯蔵庫に続く唯一の道路が幅60センチほどの側溝を残して崩落した。トラックが使えず、幅ギリギリのサイズの台車で少しずつ運び出している。
2月以降は例年であれば仕込みの時期。しかし、断水で再開の見通しは立っていない。魚醤は出荷まで1年以上の熟成が必要になり、新谷伸一社長(54)は「早く水道が復旧してくれないと、翌年以降の出荷が厳しい」と顔をしかめた。