「箱根組に負けたくない」 四辻浩二さん 悔しさ胸に17連続区間賞 県下一周駅伝振り返る

「県下一周はあこがれだった」と語る四辻=西彼長与町、長崎北陽台高

 「僕自身、何でかなあとずっと思っていた。いつもバイオリズムがあっていたのかな」
 例年、11月に開催されていた九州一周駅伝などで結果が出なくても、2月の県下一周駅伝は不思議と“爆走”してしまう。第40回大会の第1日10区以降、第49回大会の第1日6区まで17連続区間賞を獲得した四辻浩二(54)=長崎北陽台高教=は、いつしか「平成の県下一周男」と呼ばれるようになった。
 五島市の三井楽中から瓊浦高に進学。3年時に冬の全国高校駅伝に出場して、チームは11位という結果を残した。当時は股関節を疲労骨折していながら、任された5区を区間16位でつないだ。
 福岡大進学後、約2年間は伸び悩んだ。少しだけ向上心も失いかけた。そんな状態を変えてくれたのが、そのころ全国放送になった箱根駅伝だった。日大の谷川義秀、梅津富浩、大東大の岡野雅毅…。同世代の地元出身者が躍動する姿が刺激になった。「おれは何をやってるんだろう」。以降、自主練習を含めて、生活のすべてを見直した。
 この「箱根組に負けたくない」という思いをぶつける場所が県下一周だった。大学3年時に出走した第41回大会で3日連続区間賞に輝くと、その後は西彼、長崎チームで優勝請負人、ふるさと五島チームに戻れば躍進の立役者となって大会を盛り上げた。記録を意識しだしたのは「10回連続が見えてきたころ」。10回を超えれば「箱根組にも抜かれないだろうと思って頑張った」。

1999年の第48回大会。最長19.2キロの最終日1区で独走する四辻=雲仙市

 記録が途絶えたのは第51回大会の第1日6区。実業団選手で南高・島原の三浦大二に敗れた。走り終えた後、三浦の背中をたたいて「あー、止まった」と一瞬悔しさをのぞかせたが、続けて「どうせ止められるなら九州一周駅伝の県代表メンバーで良かった」とさわやかに笑った。
 歴代3位となる21個の区間賞を獲得した県下一周。高校3年で初出場した時は「箱根みたいな大きな大会。伴走車もついていて、すごいなという感覚だった」。あれから36年…。九州、全国レベルのレースを何度も経験して、指導者として実績を残してきた今も、当時抱いた思いは変わらない。
 「僕は県下一周に育てられた。そのおかげで今がある。だから、どんな形でもいいから、僕らが子どものころに憧れていた県下一周が続いていくことを願っている」

 長崎新聞社主催で開催される県下一周駅伝は、今回の第70回大会で最後となる。その歴史に輝かしい一ページを刻んできたランナーや支えてきた功労者の思いを聞いた。

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