ウェルメスケルケン際も続け!「逆輸入でJリーガーになった日本代表選手たち」

ファン・ウェルメスケルケン・際が川崎フロンターレに加入したことが大きな話題になった。かつてヴァンフォーレ甲府の下部組織でプレーした彼は、生まれ故郷のオランダでプロとしてのキャリアを重ね、今回ついにJリーグの舞台へと進出した。

今回は「海外のクラブから逆輸入で日本に戻ってきた日本代表選手たち」をご紹介する。なお迷ったが中澤佑二はユース時代ということで除外した。

三浦知良

キャリア初期に経験した海外のクラブ:キンゼ・デ・ジャウー、サントス、コリチーバなど

Jリーガーになったクラブ:読売ヴェルディ

日本代表成績:89試合55ゴール

もちろん逆輸入で代表的な例といえば三浦知良、キングカズである。高校を中退して15歳という若さでブラジルへと渡り、そこでプロサッカー選手になった。名門サントスにも所属するなど実力を見せたものの、Jリーグの創設に合わせて帰国。初年度のMVPに輝くなど看板選手として活躍した。

日本代表でも長く中心選手として存在感を見せ、1998年のワールドカップでは直前にメンバー落ちも「魂みたいなものはフランスに置いてきた」という名言を残した。さらに56歳になった今もポルトガルで現役を続ける鉄人である。

千葉和彦

キャリア初期に経験した海外のクラブ:AGOVV、ドルトレヒト

Jリーガーになったクラブ:アルビレックス新潟

日本代表成績:1試合0ゴール

日生学園第二高校を卒業後、Jリーグからのオファーがなかったことからオランダへと渡って2部リーグでデビューした千葉和彦。AGOVVアペルドールンとドルトレヒトでプレーし、2005年にアルビレックス新潟へと加入した。

2012年にはサンフレッチェ広島へと移籍してJリーグの連覇に貢献し、2013年には東アジアサッカー選手権に向けた日本代表チームに選出された。Jリーグ随一のムードメーカーとしても活躍し、毎年開幕前には「ヤベッチFC」「やべっちスタジアム」で登里享平とともに大きな存在感を見せる。

宮市亮

キャリア初期に経験した海外のクラブ:アーセナル、フェイエノールト、ボルトン・ワンダラーズなど

Jリーガーになったクラブ:横浜F・マリノス

日本代表成績:5試合0ゴール

高校卒業後にイングランド・プレミアリーグのアーセナルに加入するという驚きのキャリアスタートとなった宮市亮。圧倒的なスピードを生かしたプレーはローン先のフェイエノールトやボルトン・ワンダラーズなどでも輝きを見せたものの、そのプレースタイルもあって大きな怪我に泣かされることになった。

2015年に加入したザンクト・パウリでも複数回の大ケガを経験しながらプレーで復活をアピールし、2021年には横浜F・マリノスに加入して初のJリーグでのプレーを選択した。2022年のE-1サッカー選手権で10年ぶりに日本代表へと選出されたものの、その試合で再び靭帯を断裂してしまうという不運に…。現在はそれも克服してピッチに戻っており、再び代表のユニフォームを着るために努力を続ける。

風間八宏

キャリア初期に経験した海外のクラブ:レヴァークーゼン、アイントラハト・ブラウンシュヴァイク、レムシャイト

Jリーガーになったクラブ:サンフレッチェ広島

日本代表成績:19試合0ゴール

筑波大学時代に日本代表選手としてプレーしたものの、国内のサッカーリーグではなく卒業後はドイツに渡った風間八宏。アマチュア契約でバイヤー・レヴァークーゼンのBチームに加入し、それから5年間海外でのプレーを経験した。

レムシャイト、そしてアイントラハト・ブラウンシュヴァイクでドイツの下部リーグを戦ったあと、1989円にマツダSCに加入。さらにJリーグ創設でサンフレッチェ広島に生まれ変わったクラブでも1995年までプレーした。

加藤恒平

キャリア初期に経験した海外のクラブ:ルダル・プリェヴリャ、ポドベスキジェ・ビェルスコ=ビャワ、ベロエ・スタラ・ザゴラ

Jリーガーになったクラブ:町田ゼルビア

日本代表成績:0試合0ゴール

最高の「名監督になった超名選手たち」5名

正確にはプロデビューしたのが町田ゼルビアなので「逆輸入」ではないのだが、そのキャリアがまさに「逆輸入らしい選手」でもある加藤恒平。Jリーグで1年プレーしたものの町田がJFLに降格したため、モンテネグロに渡ってプロのキャリアを続けた。

そしてポーランドとブルガリアで活躍を見せ、2017年にはヴァイッド・ハリルホジッチ監督の下で日本代表メンバーに選出されて大きな話題になった。2018年にはサガン鳥栖に加入して久々のJリーグを経験した。34歳になった現在はマカオでプレーしている。

© 株式会社ファッションニュース通信社