「死にたいくらい、つらい」 谷川氏が議員辞職願 集金能力は力と「錯覚」 長崎

記者会見で報道陣の質問に答える谷川氏=22日午後4時17分、大村市内

 「残念で残念でならない。本当に悔いが残る」-。谷川弥一衆院議員(82)=長崎3区=は、自民党派閥パーティー裏金問題で立件された責任を取り、辞職を決意した。違法性の認識が足りないまま多額の還流を受け、政界の第一線から退くことになり、22日の記者会見で後悔の思いをにじませた。
 2018年以降の5年間で安倍派から計約4300万円の還流を受けたのに収支報告書に記載しなかった罪について「認めている」とした。不記載の理由については「全て私の認識の甘さ」と述べるにとどめた。
 還流は安倍派議員の中でも高額だった。「政治家として、論客であることと集金能力があることが一つの力だと錯覚していた。(しかし)大きな過ちだった」と悔やんだ。
 自身が創業した建設会社の取引先を通じて多額のパーティー券を販売していたことを「会社がなければ集めることはできなかった」と説明。その上で「半分くらいは会社、あと半分はずっと付き合ってきた友だち。金が集まってくるシステムができていた」と明かした。
 還流金の使途は「政治活動費に使った。個人的に使った記憶はない」と釈明。「飲みに行ったり食べに行ったり会場を借りたり、いろんなこと」「人間関係づくり」と言及したものの、具体的な説明は避けた。不記載に対する違法性の認識が当時はなかったとし、選挙違反や買収などの行為は否定した。
 略式起訴に対し「一切言い訳するつもりはなく、戦うつもりもない」と議員辞職を選択。ただ、描いていた本県の企業誘致や観光振興の構想を「全部できなくなったことが残念でならない」と話した。
 昨年12月には質問した記者に「頭悪いね」と発言したことで批判を浴びたが、「配慮が足りなかった」として陳謝し撤回した。
 2003年の初当選以来、約20年間務めてきた国会議員生活の幕引きは、立件を受けての辞職となった。「死にたいくらい、つらい。こういう無残な終わり方をするとは。言いようのない自分に対する憤りがある」と胸の内を吐露。「3区の星だと思ってやってきたが、結果的には3区の恥で終わるのか…」と自らを責めた。

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