与一は「挑戦」の存在 歴史と観光「どうする大田原」シンポ 学芸員が資源の見せ方提案

烏帽子と直垂姿で講演する重藤学芸員

 【大田原】市内の歴史や自然を生かした観光地づくりなどを目指し、市学芸員3人が資源の「魅せ方」を提案するシンポジウム「どうする大田原」が21日、市那須与一(なすのよいち)伝承館で開かれた。市ゆかりの与一について「地元のヒーローでチャレンジ精神にあふれた存在」と位置付ける提案などが出た。3人は豊かな資源を面として捉え、市と市民、他市町などとの幅広い協働が重要と訴えた。

 伝承館の重藤智彬(しげとうともあき)学芸員(32)は基調講演で、与一が身に付けていた烏帽子(えぼし)と直垂(ひたたれ)を着用し「これも魅せる一つの方法」と説明した。

 与一は平安末期の源平合戦で活躍し、屋島の戦いで扇の的を一矢で射落として有名。重藤学芸員はその状況の厳しさについて、源氏軍代表として射損じれば自害という極度のプレッシャーがあった、波が高く約77メートル先の船上の扇が揺れ動いた-などを上げた。

 当時全国に名をとどろかせ、扇の的の功績などで11男だったのに那須家の当主となったとされる。重藤学芸員は「本来あり得ないサクセスストーリーで、X(旧ツイッター)でも見かけることが少なくないすごい武将。扇の的に挑む時のチャレンジ精神が与一のメッセージになる」と指摘。観光などにつなげるためにも「関係者がチャレンジ精神で団結し、資源の活用を」と強調した。

 市市史編さん係の山川千博(やまかわちひろ)学芸員(41)は「かつての馬のいる暮らしといった地域で当たり前でも、よそで珍しいものが資源になる」などと編さん作業で見えたことを解説。市の部局横断的な取り組みや市民らとの協働の大切さを指摘した。

 市歴史民俗資料館の宮澤友美(みやざわともみ)学芸員(44)は、市など4市町の日本遺産「那須野が原開拓史」を踏まえ「歴史や文化資源は市町の枠の中だけでは語れない。日本遺産に限らず、枠を越えて活用することで大田原の魅力を伝えられるのではないか」などとした。

 相馬憲一(そうまけんいち)市長はあいさつで「シンポジウムを施策の具現化に向けた議論のスタートにしたい」と強調。黒羽向町、写真スタジオ経営根橋洋行(ねばしひろゆき)さん(53)は「興味深い話だった。一般の人が入り込めるよう、資源の魅力を面としてどう見せるかが大切ですね」と語った。

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