難しすぎる?堅苦しい?ピアニストにとってのバッハ【榎政則の音楽のドアをノックしよう♪】

ピアノといえば、今も昔も習い事の王道です。そして、ピアノを始めて通常4-6年目、初級レベルは大体弾けるようになった、というタイミングで出合うのが、バッハの「インベンション」です。

左手が伴奏、右手が旋律、というそれまで習ってきた形と違い、左手も右手も旋律(?)になっていて、なんだかよくわからない練習曲、という印象のまま通りすぎる人も多いのではないでしょうか。

「音楽の父」とも言われ、クラシック音楽の中では最も有名なバッハですが、実際はどんな作曲家だったのでしょうか。ピアニストにとってのバッハという視点で話していきたいと思います。

バッハは保守的な作曲家だった

バッハの生まれた年は1685年、音楽史的にはバロック時代のちょうど真ん中です。バロック時代の前は、数百年間続いたルネッサンス時代があり、今のような伴奏+旋律という形は主流ではなく、旋律がいくつも重なった形が主流でした。1600年頃に楽器の著しい進化があったり、オペラが登場したり、といったことがあり、ルネッサンス時代は終わりを告げ、バロック時代となります。

華やかで優美な旋律と、それを支える伴奏という形がバロック時代の特徴ですが、バッハの「インベンション」には、そのような印象を抱くことは少ないでしょう。

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どちらかといえば、バッハの音楽、少なくとも「インベンション」は1600年以前のルネッサンス音楽に近い趣きがあります。

バロック音楽の次の時代、古典派音楽に関しては、バッハではなく、その息子であるカール・フィリップ・エマニュエル・バッハの功績のほうがよほど大きいでしょう。

バッハにはなんとなくお堅いイメージがある方も多いかと思いますが、保守的という点においてはそれほど間違っていないのかもしれません。

インベンションとその後

ピアノを習っていると、バッハは「インベンションの人」という印象が強いかもしれません。それでは「インベンション」の次は一体なにを練習することになるでしょうか。 一般的な進行度順に、特徴もあわせて見ていきましょう。

・インベンション 2声のインベンションとも呼ばれ、15曲からなる曲集です。2声というのは、2つの旋律が同時に演奏されるという意味です。 特に第1番は避けて通ることが不可能と言えるほどよく弾かれています。右手と左手がそれぞれ異なる一本の旋律を演奏し、それが複雑に絡み合うという手法で書かれた曲です。 「作曲技法を身に付けること」「多声部の弾き分けをすること」「歌うように弾くこと」を目的とした教育的な作品であるとバッハは前文で語っています。

・シンフォニア 3声のインベンションとも呼ばれ、同じく15曲からなる曲集です。右手と左手で1つの旋律を弾くのがインベンションでしたが、シンフォニアはさらに一つの旋律が追加されます。特に真ん中の旋律は右手が弾いたり左手が弾いたりと、複雑な受け渡しを伴い、演奏には高度な技術を要します。

2声から3声になると、ピアノの技術としても本質的に難しくなります。指の動かし方ももちろん複雑ですが、全ての旋律を同時に把握する集中力も必要となり、楽譜を読むだけでも大変です。

・平均律クラヴィーア曲集 「前奏曲」と「フーガ」で1曲、これが24曲集まり1巻となり、全2巻48曲の巨大な曲集です。ダンス風の音楽や教会風の音楽など様々なスタイルで、1曲1曲が緻密に書かれています。

ピアノ曲集の最高峰はと言われれば真っ先に候補に挙がるほどの名曲で、全曲演奏会を開くことは多くのピアニストにとっての夢であり挑戦だと言えるでしょう。

曲数が多く、難易度にもバラつきがあるため、シンフォニアを弾きこなせる方であれば、平均律クラヴィーア曲集のいくつかの曲には挑戦することができるでしょう。

・イタリア協奏曲 イタリア協奏曲は、明るく軽快な1,3楽章と、一本の旋律が悲しげに歌い続ける2楽章から成る、15分ほどの曲です。 実際にはチェンバロの曲として書かれていますが、ピアニストにも人気があります。バッハらしく緻密に構成された知的な曲でありながら、バロック時代の後の古典派の音楽のような軽快さがあります。

平均律クラヴィーア曲集を何曲か弾ける人であれば十分挑戦できる曲ですが、各楽章にそれぞれ独特の難しさがあり、ピアノ上級者であってもかなりの手ごたえを感じることでしょう。

・パルティータ 「組曲」を表すパルティータは、第6番まであり、それぞれが6-7曲の組曲になっています。 バロック時代の組曲は、まず前奏曲があり、その後色々な舞曲を演奏していくという形式になっています。 一つのパルティータを通して演奏すると、15-20分ほどになります。前奏曲のオーケストラ的な表現、各曲のダンスのスタイルなど、演奏には音楽史的な背景知識が必須となります。

もともとの演奏技術の困難さと相まって、弾きこなすのは大変難しく、上級者好みの曲といえるでしょう。

・ゴルトベルク変奏曲 テーマと30の変奏曲から成り、当時の鍵盤技術のあらゆる要素を詰め込んだ、当時の鍵盤曲の集大成ともいえる曲です。3で割り切れる変奏(第3変奏,第6変奏,第9変奏,..)はカノンと呼ばれる技法を用い、3で割って1余る変奏は舞曲や合唱などのスタイルがはっきりした曲、3で割って2余る変奏は鍵盤技術の見せどころ、となっています。曲全体に数学的な構造美があり、それぞれの変奏が一級品の名曲です。

演奏は全部で1時間ほどかかり、1曲としての規模は、現代からみても圧倒的な大きさです。バッハを愛するピアニストであれば、一度は演奏会で取り上げたいと思う曲です。

演奏方法にこれといった正解があるわけではないことも多く、ピアニストがそれぞれの感性・研究を活かして取り組むことになります。ピアノの技術・音楽の知識に加え、表現の独創性も必要になることでしょう。

 

バッハを理解するための3つの要素「構造美」「歌心」「遊び心」

バッハの鍵盤作品は、ほとんどが研究・教育用となっているのが面白いところです。

いくつもの旋律が同時に演奏される「対位法」という技術がよく取り上げられます。パズルのように複雑に組み合わさった数学的な曲、というイメージが強いかと思います。

もちろんそのような要素はバッハの大切な一面です。しかし、それより大切なことがあります。旋律のなかにある歌心です。 バッハの書く旋律は起伏に富み、情感に溢れています。バッハ自身、歌心をとても大切にしていた作曲家であり、特に音量の変化や、それぞれの音の音色の変化にはとても敏感でした。 ピアノの先祖にあたるチェンバロは、鍵盤のタッチで音量や音色の変化をつけることは非常に難しい楽器でした。音量は劣るものの、音量の変化を着け、ビブラートを掛けることも可能なクラヴィコードのほうがバッハのお気に入りだったという話もあります。

ピアノは、聞こえない程小さな音から大音量まで自由自在に操ることのできる楽器です。バッハにとっては夢のような楽器なのではないでしょうか。

「粒を揃えて弾きなさい」とは、バッハに限らずあらゆる曲の練習で言われることだと思いますが、バッハを弾くときはぜひ「コントロールされた不揃いな音」で弾いてみてください。

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全ての音に歌心があり、役割があります。すべての音を同じ音で弾いてしまったら、それを表現することができなくなってしまうでしょう。

そして、最後に「遊び心」が大事です。バッハはいたるところに「トリック」を仕込んでいます。それはちょっと人を驚かせようという変わった音だったり、昔の曲の引用だったり、暗号のような言葉遊びだったり、と色々です。

それは、真面目に解釈すれば「象徴主義」(音の高さや形に、具体的な意味を象徴させる)ということもできるでしょうが、遊び心だと思った方が、気軽に表現することができます。

有名なところでは、B-A-C-H(ドイツ語でシ♭・ラ・ド・シ♮のこと)が自身の署名として使っている音の形、というものがあります。

曲の中にこれだけ遊び心を入れている作曲家なので、ぜひ演奏にもちょっとした「遊び心」、または「いたずら心」を入れて弾いてみてください。

このように弾くと、バッハの魅力をより感じやすくなるでしょう。(作曲家、即興演奏家・榎政則)

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 榎政則(えのき・まさのり) 作曲家、即興演奏家。麻布高校を卒業後、東京藝大作曲科を経てフランスに留学。パリ国立高等音楽院音楽書法科修士課程を卒業後、鍵盤即興科修士課程を首席で卒業。2016年よりパリの主要文化施設であるシネマテーク・フランセーズなどで無声映画の伴奏員を務める。現在は日本でフォニム・ミュージックのピアノ講座の講師を務めるほか、作曲家・即興演奏家として幅広く活動。

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