みんな超有名!インドネシア人の血を引く「偉大」なサッカー選手5名

AFCアジアカップ2023に参戦中の日本代表は、24日に行われるグループステージ第3節でインドネシア代表と対戦する。

優勝候補の筆頭として大会に臨んだ日本だったが、2戦目でイラクに敗れたため、このインドネシア戦が決勝トーナメント進出をかけた大一番となった。

インドネシアはFIFAランキング現在146位(日本は17位)と格下であることは間違いない。ただサッカーの歴史は古く、また同国の血をひいた世界的なサッカー選手も多数存在する。

そこで今回は、インドネシアにルーツを持つ偉大なサッカー選手をご紹介しよう。

ジョヴァンニ・ファン・ブロンクホルスト

オランダ代表:106試合6得点(1996-2010)

アーセナルやバルセロナでプレーしたオランダのレジェンドで、守備的MFと左サイドバックをハイレベルにこなした頭脳派プレーヤー。

その知性とリーダーシップを買われてオランダ代表では主将も任され、2010年ワールドカップ・南アフリカ大会の準優勝に大きく貢献した。

そんな彼は父親がオランダ人とインドネシア人の混血で、母親は1950年代に祖母とモルッカ諸島からオランダに渡ったインドネシア人である。

自身がそのルーツを公言していることもあり、インドネシア系のサッカー選手として最も知られた存在である。

ルート・フリット

オランダ代表:66試合17得点(1981-1994)

ライカールト、ファン・バステンとの「オランダトリオ」でACミランの黄金期を形成したルート・フリット。

彼はスリナム系の象徴的な選手として広く知られているが、父親がインドネシアにあるモルッカ諸島にルーツを持っている。

これはかつて東インド(現在のインドネシア)を支配していたオランダが1890年頃、インドネシア人を労働者としてスリナムに送り込んだことが背景ではないかと考えられる。

フリット自身も2015年にモルッカ諸島にあるアンボン島を訪問している。

ロイ・マカーイ

オランダ代表:43試合6得点(1996-2005)

2000年代を代表する稀代の点取り屋は、オランダ国内より外国で大きな成功を収めた。

“スーペル・デポル”と言われたスペインのデポルティーボでリーガ制覇の主役となり、隣国ドイツの雄バイエルンではエースストライカーを任された。

代表ではあまり結果を残せなかったが、これは同時期にクライファートやファンニステルローイがいたため。ゴールを奪うことに関しては彼が一番といっても言い過ぎではないだろう。

そんな彼は母親がインドネシアのモルッカ人であるという。

ラジャ・ナインゴラン

ベルギー代表:30試合6得点(2009-2018)

イタリアのローマやインテルで活躍した元ベルギー代表MFラジャ・ナインゴラン。

強烈なタトゥーと破天荒なライフスタイルで何かとトラブルが絶えないが、その気性の激しさを前面に出したプレーこそ彼の真骨頂といえる。

彼の父親はインドネシアのバタック人で、ラジャはインドネシアの言葉で「王」を意味するという。現在はその父の祖国、インドネシアのバヤンガラFCに所属している。

余談であるが同じようにファイターだった元オランダ代表のナイジェル・デヨングもインドネシアの血を引いている。

ロビン・ファン・ペルシ―

オランダ代表:102試合50得点(2005-2017)

オランダ代表の最多得点者であるロビン・ファン・ペルシーは祖母がインドネシア人だ。

フェイエノールトでデビューした当時は典型的なドリブラーだったが、後に点取り屋として覚醒。オランダ代表やアーセナル、マンチェスター・ユナイテッドのエースとして活躍した。

ちなみにフェイエ時代は小野伸二と同僚で、昨年行われた小野の引退セレモニーに「同じピッチでサッカーできたことは光栄」とビデオメッセージを送っている。

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彼の細身の体型や柔らかいボールタッチは、アジアの血からくるものだったのかもしれない。

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