長崎大坂本キャンパスで旧長崎医科大の遺構発見 原爆で壊滅した生化学教室跡か

旧長崎医科大の生化学教室跡とみられる遺構。れんがなどが見える=長崎市坂本1丁目、長崎大坂本キャンパス

 長崎県長崎市坂本1丁目の長崎大坂本キャンパスの感染症研究施設建設予定地で、長崎原爆で壊滅した旧長崎医科大の建物跡とみられる遺構(約580平方メートル)が見つかったことが23日までに分かった。長崎大などの調査によると、旧長崎医科大基礎キャンパスの生化学教室があった場所。コンクリート製の基礎部分などがあり、長崎大は「市の指導、助言の元に調査を進める」としている。
 同大などによると、旧長崎医科大は爆心地から約600メートルに位置し、原爆で898人が犠牲になった。基礎キャンパスは木造の建物が大半で、このうち生化学教室はコンクリート製の実験室など一部を除いて原爆で倒壊、焼失。教職員や生徒ら約60人が死亡した。
 遺構が見つかったのは、感染症研究施設の建設予定地となっている駐車場部分。昨年10月、建設工事前に試掘した際、深さ50~60センチの地中からコンクリート片やれんが片が見つかった。同大は市に報告し、建設予定地全体(縦16メートル、横36メートル)を調査。現時点でコンクリートの基礎部分や瓦、れんが、ガラス、炭化物が地層に交じって出土している。
 旧長崎医科大の戦前の配置図や当時の航空写真などと照らし合わせた結果、生化学教室があった場所と一致。長崎大によると、戦後、この場所に建物が建てられた記録はない。
 市文化財課は「大学や学識経験者とも話し、調査、記録する。(今後について)重要なものと分かれば改めて協議する」と説明。調査は本年度中に終了し、結果を分析して報告書にまとめる予定。感染症研究施設は当初、昨年秋に着工し、本年度中に完成予定だったが、建設は中断している。
 市によると、旧長崎医科大の建造物は「滅失した被爆建造物」に位置付けられている。生化学教室に関する記録は少なく、発見された遺構は旧長崎医科大の被爆の惨状を物語る貴重な資料になる可能性があり、戦後、復興が進んだ坂本キャンパスに残る数少ない遺構ともいえる。
 同大には国指定史跡の「旧長崎医科大学門柱」や市の被爆建造物等取扱基準のBランクに指定されている「旧長崎医科大学配電室」などが現存する。

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