「完全に間違った移籍」をしてしまった9名のスター選手

サッカーにおけるクラブ間の移籍は、選手にとって非常に大きな意味を持つ。ときにはそれが価値を急激に高め、わずか1年でスーパースターとして台頭することも。

ただその一方で、あまりうまく行かなそうなところに飛び込んでしまったことでキャリアの足踏みになった選手たちも…。

ジョーダン・ヘンダーソン

うまく行かなかった移籍先:アル・イティファク

リヴァプールで長年キャプテンを務めてきたジョーダン・ヘンダーソンは、LGBTQ+(性的マイノリティー)コミュニティに同調を表明していたアイコンであったが、サウジアラビアへ移籍したことでその評判に傷がついてしまった。

ヘンダーソン自身は『Athletic』のインタビューで「僕は新しいことに挑戦して、大好きなサッカーを他の国で成長させたかった。このスポーツを世界中に広めたいと思った。それが僕を本当にやる気にさせた」と語っていたが、かつての仲間からの批判はかなりこたえていたという。

またサウジアラビアの気候にも馴染めなかったとのことで、わずか半年でアヤックスへと移籍することになった。

ジョタ

うまく行かなかった移籍先:アル・イティハド

昨年夏にセルティックからサウジアラビアのアル・イティハドへと移籍した24歳のポルトガル人ウインガー。彼にとって不幸だったのは、クラブがあまりにも多くの投資を行ったことだ。

カリム・ベンゼマやエンゴロ・カンテらとともに活躍することになるだろうと思われたが、それからも補強は止まることがなかった。結局外国人枠が埋まってしまい、ジョタは選手の登録から外されることに。

9月以降は公式戦に出場することすらできずにいる状況で、早めに解決策を見出さなければその有望なキャリアに大きな傷を付けてしまうだろう。

ロメル・ルカク

うまく行かなかった移籍先:チェルシー

マンチェスター・ユナイテッドで不幸な時間を過ごしたロメル・ルカク。復活を期してイタリア・セリエAのインテルへと移籍し、アントニオ・コンテ監督の下で2020-21シーズンのスクデットを獲得するなど活躍を見せた。95試合で64ゴールという結果はまさにエースの風格であった。

しかし、ルカクは驚くことにかつて失敗した場所であるチェルシーへと戻ることになった。それはインテルの財政難もあってのことだったはずだが、1億ポンド以上の移籍金が支払われれば仕方ない取引でもあった。

ただ、これはルカクにとっては不幸そのものだった。トーマス・トゥヘル監督のプランには全く合致しておらず、最初からインテルを離れたことを後悔しているようでもあった。そして後にインタビューで「僕はインテルに戻りたい」と宣言してファンから批判を浴びることにもなり、ルカクとチェルシー両方にとって不幸な取引になってしまった。

アントワーヌ・グリーズマン

うまく行かなかった移籍先:バルセロナ

愛するレブロン・ジェームズにインスパイアされた動画でアトレティコ・マドリーに残留することを宣言してから1年後、グリーズマンは大きく心変わりしてバルセロナへ移籍することになった。

リオネル・メッシら前線の選手とどのように組み合わされるのか注目されたが、結局のところバルセロナでのプレーではその最適解が見つからず。アトレティコ・マドリーやフランス代表で見せていたような存在感は全くと言っていいほどなかった。

そして、結局グリーズマンは後にアトレティコ・マドリーへと復帰。そして彼のパフォーマンスも徐々に復活を見せており、移籍すべきではなかったのだということを証明している。

ジョジー・アルティドール

うまく行かなかった移籍先:ビジャレアル

アメリカで生まれた天才ストライカーであると評価されたジョジー・アルティドール。ニューヨーク・レッドブルズで16歳にしてレギュラーを獲得し、18歳までにMLSで15ゴールを決める活躍を見せた。

そして2008年、18歳になったアルティドールを獲得したのがスペインのビジャレアルだった。当時のMLSの選手に費やされた額としては最高となる740万ユーロを記録した。

ただそれからアルティドールは2部のシェレスへ貸し出され、さらにハル・シティとブルサスポルへとローン移籍。2011年にオランダのAZアルクマールへ移籍するまで3シーズンを足踏みしてしまっている。

アレクシス・サンチェス

うまく行かなかった移籍先:マンチェスター・ユナイテッド

アレクシス・サンチェスをただの失敗として片付けるのは簡単だ。アーセナルにとっては例外的なスター選手であったし、機嫌を損ねてしまった彼が価値を失う前にマンチェスター・ユナイテッドへと送り出すことには合理性もあった。

ただ、アレクシス・サンチェスはマンチェスター・ユナイテッドに加入した最初の日から違和感を覚えていたという。後にインスタライブで明かされたところによれば、「最初のトレーニングからいろいろなことに気付いた。そして代理人には『契約を解除してアーセナルに戻れないか?』と聞いた」という。

マンチェスター・ユナイテッドにもかなり気に入らないところがあったものの、すでに巨額の契約が結ばれていたことからどうにもならなかったそう。

マリオ・バロテッリ

うまく行かなかった移籍先:リヴァプール

マリオ・バロテッリ本人も認めている「最悪の間違い」がリヴァプールへの移籍だった。ミランで活躍を見せていた彼は、バルセロナへ移籍したルイス・スアレスの後釜としてアンフィールドに迎え入れられた。

ただバロテッリはイングランドで出会ったブレンダン・ロジャーズ監督とユルゲン・クロップ監督に全くハマらなかった。「俺はロジャーズとクロップという二人の監督とプレーしたが、彼らは人間としていい印象ではなかった。仲良くなれなかった」という。

有名なエピソードとしてバロテッリも「コーナーキックのディフェンスに入ることを拒否した」と言われており、とにかくリヴァプールでは意見の相違が多かったようで、バロテッリ自身も全くプレー面はいいところがなかった。

アンディ・キャロル

うまく行かなかった移籍先:リヴァプール

リヴァプールがフェルナンド・トーレスをチェルシーに売却したあと、その莫大な移籍金の70%を投資して獲得したのがニューカッスルの若き大型FWアンディ・キャロルであった。

イングランドの将来を担うと言われた逸材に手を伸ばしたのは決して悪いことではないが、問題だったのはキャロル自身が全く移籍を希望していなかった点だ。彼は愛するニューカッスルに売られたことをショックに思い、リヴァプールでは度重なる怪我に悩まされた。

当時のイングランド人に支払われた移籍金としては最高額となった3500万ポンド。アンディ・キャロルはその期待に全く答えることができずに終わったが、もしニューカッスルに必要とされてとどまり続けていたらどうなったのだろうか…。

ジョアン・フェリックス

うまく行かなかった移籍先:アトレティコ・マドリー

ベンフィカで若くしてエースとなったジョアン・フェリックス。突如ユースから昇格してきた細身の天才アタッカーは、圧倒的なテクニックとアイデアでポルトガルリーグを席巻し、クリスティアーノ・ロナウドの後継者とも評価された。

しかし意外なことに彼が移籍したのはアトレティコ・マドリー。1億ユーロ以上の額が支払われる大型の取引だったが、ジョアン・フェリックスのプレースタイルとディエゴ・シメオネ監督の戦術は合わないのでは?と不安視された。

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案の定その予想は当たった。スペインへ移籍したフェリックスはその移籍金に見合うような活躍ができず、才能を発揮する場所を見いだせなかった。その後チェルシーへのローン移籍を経てバルセロナに加入したが、まだベンフィカ時代の輝きを取り戻せていない。

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