届いた最後の年賀状 72時間後に救助も死亡、輪島の外さん 律義な性格、地震直前に投函

能登半島地震で亡くなった母の外節子さんと弟の忠司さんの祭壇に手を合わせる武志さん=金沢市内

 能登半島地震で犠牲になった外節子さん(89)=輪島市=からの年賀状が、今月15日、金沢市内に住む親戚のもとに届いた。地震直前に投函(とうかん)したとみられ、表書きには直筆で宛先が記されていた。発生から約72時間後、倒壊した家屋から救助され、その後に亡くなった節子さん。賀状を見た長男の武志さん(60)=金沢市=は「間違いなく本人の字。地震が起きるまで、いつも通りの正月を過ごしていたんでしょう」と在りし日の母をしのんだ。

  ●葬儀後、親戚の元に

 節子さんは、生存率が大幅に下がるとされる発生後72時間を過ぎた4日に救助されたものの、長時間の圧迫によって引き起こされる「クラッシュ症候群」による多臓器不全で6日に死亡した。崩れた家屋からは次男の忠司さん(58)も見つかったが、既に亡くなっていた。

 節子さんからの年賀状が届いたのは、金沢に住む教員外泰子さん(57)の自宅。泰子さんの夫が節子さんのおいに当たる。泰子さんは昨年、元日に届くようにと節子さん宛てに年賀状を送っていた。

 10、11日、2人の通夜と葬儀に参列した後に返信が届いたといい「節子おばちゃんから年賀状が来た」と家族で驚いたという。「謹賀新年」の文字や新年のあいさつ、節子さんの名前が印字されていた。

 長男の武志さんによると、節子さんは1、2年ほど前に「年賀状じまい」をしたが、返信用に数枚を用意していた。きちょうめんで、人付き合いを大切にする性格だったことから、1日に届いた年賀状には、その日のうちに返事を出していたという。

 1日の地震が起きる前、徒歩で外出する節子さんの姿を近所の人が見ていた。「もしかしたら年賀状を出しに行っていたのかも、と話していたんですが、本当にそうだったんですね」。武志さんは目を細めた。

  ●「母の地酒」見つけ

 武志さんは地震後、毎週輪島へ通う。母と弟が暮らしていた実家を片付ける中で、1本の酒瓶を見つけた。節子さんが息子たちが集まる盆や正月のために買っておいた地酒だった。

 「地震のことはできるだけ考えないようにしてます。四十九日には、この酒を飲みたい」。武志さんは祭壇に置かれた母と弟の遺影に、そっと手を合わせた。

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