箱根駅伝「寺田交差点」で有名 西彼・西海の寺田 地元声援に喜び 県下一周駅伝・第1日 

西彼・西海の2区寺田(皇学館大駅伝部監督、左)が1区濵田(三菱重工)からたすきを受けて走り出す=西彼時津町

 70年以上の歴史を積み重ねてきた県下一周駅伝大会。ここをステップに多くの中高生が九州、全国レベルに育ち、大学、実業団選手となって再び古里のために貢献してきた。今大会も各チームから多数のトップランナーがエントリー。その中で第1日に最も注目を集めたのが、2011年の箱根駅伝で「寺田交差点」という“名所”をつくった西彼・西海の2区寺田(皇学館大駅伝部監督)だった。
 寺田は諫早高を卒業後、10年に国学院大に入学。その冬の箱根駅伝で1年生ながらアンカーの10区を任された。11位でたすきを受けると、シード権(10位以内)争いに参戦。4校が8位集団を形成した中、終盤にその先頭に出た。だが、残り約120メートルの交差点で右折した中継車につられてコースアウト。何とか戻ってシード圏内ぎりぎりの10位でゴールしたが、以降はその劇的なシーンが何度もメディアに取り上げられ、寺田交差点という呼び名までついた。
 そんな有名人が出走した2区。多くの駅伝ファンが沿道に詰めかけた中、寺田は序盤から飛ばした。ゴール後は「全然動かなかった」と納得はしていなかったが、地元の西彼時津町を走る区間を3位でつなぎ、チームの日間首位に貢献した。
 実はこの日のスタート前、知り合いの先生に「コースを再確認した」。走っていると「交差点はないからな、という声援も聞こえた」。うれしかった。「覚えていてくれるんだな」。地元の温かさを感じた。
 走り終えた後、数人の駅伝ファンが「交差点の寺田さんですよね」と握手を求めてきた。快く応じて、笑った。「やっぱり県下一周はいいですね」

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