昔も今も使命感に燃え 元輪島市議会議長・中山さん復興へ「負けとられん」

被災した家や農業ハウスの画像を見ながら、発災時を振り返る中山さん=黒部市宇奈月温泉のホテル

  ●農機具庫倒壊、ハウスも被害

  ●輪島勤務経験の本社記者が避難の宇奈月で再会

 2013年から4年間、輪島総局に勤務しており、能登半島地震での輪島市の甚大な被害に心が痛んだ。知り合いは今、どうしているだろう。心配していたが、同市から黒部市宇奈月温泉へ2次避難した人たちの取材で、懐かしい方と再会できた。元輪島市議会議長の中山勝さん(86)=町野町寺地=だ。引退後は地元の農業振興に奔走し、「前回の地震も乗り越えた輪島や。負けとられん」と復興に向け使命感を燃やしていた。(黒部支局・北山弘幸)

 中山さんは1970(昭和45)年、旧輪島市議に初当選、石川県議を1期挟み、2019年に81歳で市議を引退するまで「地域のため、人のため」を信条に政治生活を送った。町野の自宅にお邪魔し、地元政治の動きなどを聞かせていただいた方だ。避難先の宇奈月のホテルで元気そうな姿を拝見し、思わず笑みがこぼれた。

 聞けば、市議引退後は地元の寺地区長を務め、かつて頓挫してしまった地域の土地改良事業着手へ汗をかいていたという。一帯の豊かな農地を生かし、稲作に加え、近年はアスパラガスやシュンギク、ミニトマトなど、ハウス園芸作物の振興に力を入れ、産地化に向け農地の大区画化、水環境整備が喫緊の課題だった。

 事業の話を2年がかりでまとめ上げ、3年目には軌道に乗せ昨年暮れ、本契約に至った。「あとは着工を待つばかりと楽しみにしとったところに、この震災や。目も当てられんわ」。中山さんもハウス3棟でシュンギクを育てていたが、地震でハウスは使い物にならなくなった。

 建物はもちろん、農地もズタズタだ。中山さん自身も復旧・復興の道のりは見通せない。それでも、「先祖代々からの土地で生き、大地の恵みでなりわいを立てるという営々と続いてきた営みを、ここで途切れさせるわけにはいかん」。町野で生活を再建し、体が動く限り、復興に向け旗を振る覚悟を語ってくれた。

 懐かしい輪島弁で熱っぽく語る中山さんの姿が頼もしかった。輪島でお世話になった方々の顔がいくつも浮かび、きっと皆、前を向き、力強く生きていくに違いないと思えた。

倒壊した中山家の農機具庫。奥のハウスも被害を受けた=輪島市町野町寺地

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