産後うつとは異なる「産褥期精神病」知ってほしい 2度発症、治療を乗り越えた神戸の女性が壮絶体験を振り返る

産褥期精神病を経験した井上美穂さん(左)。治療後は子育てに励んでいる=神戸市西区

 「産褥(さんじょく)期精神病」という聞き慣れない病がある。出産直後に現れる精神疾患で、精神的に不安定になる「産後うつ」とは異なり、発症は500~千人に1人ほどとされる。神戸市垂水区の井上美穂さん(30)は2度の出産で発症し、生まれたばかりの娘たちと過ごせなかった。治療を乗り越え、現在は育児を楽しむ井上さん。「情報が少なくて困っていたり、苦しんだりしている人の小さな励みになれば」と、壮絶な体験を振り返った。(久保田麻依子)

 第1子の出産は2018年5月。当時住んでいた名古屋から実家のある神戸に帰省して臨んだ。妊娠中は大きなトラブルはなく、気持ちも前向きだった。 ### ■別人格

 長女を出産し、実家に戻ってから1、2日後のことだった。「おかしいな」と不調を感じる間もなく、突然、幻覚や幻聴の症状が出た。常に喉が渇き、時計やテレビから、誰かに話しかけられている音が聞こえてきた。起きているのか寝ているのかの区別もあいまいで、「自分とは別人格が勝手に動き出すような感じ」だった。

 症例の少なさからか、受け入れ先の病院もなかなか決まらなかった。数件目に問い合わせた兵庫県の精神科病院で産褥期精神病と診断され、入院。直後はそううつの症状が強く現れ、病室内をぐるぐる歩いたり、壁に頭を打ち付けたりしていたという。長女とも会えず、「母乳はたくさん出るのに捨てるしかなかった」(井上さん)。投薬治療で意識の混乱は数日ほどで落ち着いたが、入院は1カ月半に及んだ。

 次女を妊娠した時は、精神科もある市内の総合病院での出産を決めた。十分に睡眠時間を確保するなどの対策をしたが、産後数日で再び発症。出産した病院とは別の精神科で約1カ月半入院した。「赤ちゃんとの関わりの中でも一番重要な時期に、また会えなかった」。悔やむ気持ちが今も胸に残る。 ### ■情報不足

 井上さんにとって救いだったのは、家族の手厚いサポートがあったことだ。発症直後は「別人格のような姿に、夫も親も戸惑っていた」と振り返るが、入院中は家族に娘たちを託すことができた。

 一方で、産褥期精神病に関する情報の少なさに悩まされた。交流サイト(SNS)などで検索しても、体験談や効果的な予防へのアドバイスはほとんどなく、周囲に打ち明けても「心が不安定なだけ」と軽く片付けられてしまう。認知度のある産後うつに比べて症例が少なく、医療関係者ですら適切な対処ができていないと感じた。

 その後、同じ病を経験した人と話す機会があった。「出口が見えず、怖くて仕方なかったあの頃の気持ちを、やっと分かってもらえた」。心からほっとすると同時に、出産前後の心身ケアの大切さも痛感した。出産前から運営しているハンドメード作品のSNSで、勇気を出して思いをつづったところ、励ましの声が多く届いた。

 今は5歳と1歳の娘たちの成長が、何よりの喜びだ。だからこそ、同じ病に苦しむ女性に伝えたい。

 「産後のつらくて重い経験があっても、楽しく子育てができる日がきっとやってくる」

     ◇     ◇ 【専門医に聞く】産後うつとは別、意識混乱

 周産期のメンタルヘルスに詳しい、国立成育医療研究センター(東京)こころの診療科の岸本真希子医師に、産褥期精神病について聞いた。

 -どんな病ですか。

 「出産直後の女性に起きる特有の症状で、分娩(ぶんべん)後1週間から1カ月の間に現れます。うつ状態とそう状態を繰り返し、幻覚や妄想、意識の変容も見られます。症状が唐突に出て、急激に悪化する特徴があります」

 -原因は。

 「明確な原因は解明されていませんが、出産後の女性ホルモンの急激な減少や遺伝、自己免疫機能の異常などが考えられます。適切な治療を受ければ1~2カ月ほどで改善します」

 「特に環境の変化が大きい初産婦で発症しやすく、一度経験すると半数近い人が次の出産でも発症すると言われています」

 -産後うつやマタニティーブルーズとの違いは。

 「マタニティーブルーズは妊産婦の2~3割ほどに現れる、一過性の情動の波のような状態です。1、2週間ほどで自然に落ち着くとされますが、悪化するとうつ状態に陥ります。一方で、産褥期精神病は意識が混乱した状態で、重度の場合は攻撃性が高くなったり、自殺未遂を引き起こしたりします」

 -対処法は。

 「不安を感じる場合は、妊娠中のうちから保健師などに相談し、産後の母子のサポート体制を整えておきます。産褥期精神病は急激に悪化するため、精神科救急の受け入れ先などの情報収集をしておくと安心です。発症した場合は、早めに精神科を受診し、回復に向けて十分な睡眠と休養を取りましょう」

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