神戸の85歳ジャズシンガー・石井順子 阪神・淡路大震災後の無料ライブ 涙流す客「ありがとう」の言葉、今も胸に

昨年の「神戸ジャズストリート」のステージに立つ石井順子(撮影・小林伸哉)

 石井順子は17歳だった戦後間もない時代から85歳になる今まで、ジャズシンガーとして生きてきた。数えきれないほどの聴衆に歌声を届けてきたが、とりわけその人のことを忘れられないでいる。客席で涙を流していた1人の女性のことを。

 阪神・淡路大震災が起きた1995年1月17日、順子はJR神戸駅近くのマンション5階にいた。早朝、ものすごい揺れが来て「どっしゃん、がっしゃん」とすさまじい音がした。ほとんどの家具が倒れていた。揺れが収まり、親類や知人に電話をかけようとしたが通じない。部屋のドアも最初は開かなかった。

 マンションが大きな被害を受けていると分かり、地震の2日目に家主から退去してほしいと言われた。当時は50代。40年近く住んだ部屋を出て、兵庫県西宮市の団地に転居した。

 被災地ではつらい場面に出合った。若い父が連れた2つか3つの女の子が泣いている。父は「ママはここにいるから」と娘に話しかけていた。手にした入れ物に父が遺骨のようなものを拾っていたのだった。

 勤めていた神戸・三宮のジャズバー「ヘンリー」が入居するビルも全壊していた。西宮に移ってしばらくした後、歌う場所を失った順子にジャズの関係者から声がかかる。

 「ドレス持って来てくれる?」

 「え? ドレス?」

 被災した市民のために、プロが集まって無料で演奏しようという企画だった。多くの人々が家族や友人を失い、避難所で暮らしている被災地で、着飾って歌うことに戸惑いを感じた。

 3月14日、神戸・北野のビルでジャズライブが行われた。聴衆は100人ほど集まった。リュックを背負って両手に荷物を抱えている。

 順子が披露した歌の一つが「テネシー・ワルツ」。米国の歌手パティ・ペイジが50年に歌って大ヒットしたスタンダードの名曲だ。歌い終わると、年配の女性が涙を目にためて「ありがとう」と近寄ってきた。

 「主人との思い出の曲なんです。昔、ダンスで踊ったりしました」

 「ご主人は?」と聞くと「地震で亡くなりました。子どももいなくて、今は私一人」と女性は視線を落とした。順子は「またお会いしましょうね」と言うのが精いっぱいだった。

 震災とともに思い出に残る歌がもう一つある。

 かつて大恐慌下の米国で流行した「明るい表通りで」。表通りでは1セントも持ってなくても、ロックフェラーのようにお金持ち-。そんな歌詞だ。ミュージカルの曲で、日本でもルイ・アームストロングなどの演奏で広く知られている。

 順子は坂の上から傷ついた神戸の街を眺めたとき、この曲を口ずさんで勇気を出した。いい天気だった。帽子をかぶって歌詞を自分に言い聞かせた。そして、人生の最後の日まで神戸で過ごそうと思った。

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 時が過ぎ、2022年10月。新型コロナウイルス禍で中断していた「神戸ジャズストリート」が、北野坂周辺で3年ぶりに復活した。

 順子は老舗のジャズライブ&レストラン「SONE(ソネ)」のステージに立っていた。ライブの最後に「テネシー・ワルツ」を歌っているときのことだ。震災直後にこの歌を聴いてくれたあの女性が、突然心に浮かんだ。空から降りてきたようだった。順子は涙が出て止まらなかった。何十年歌ってきたが、そんな経験は初めてだった。

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 石井順子は1938(昭和13)年に神戸で生まれた。音楽好きの一家で育ち、56年からステージに立つ。坂本スミ子や淡谷のり子、ミッキー・カーチスらとも共演した。今は「ヘンリー」のオーナーを務める。伸びやかでつややかな歌声とともに、その温かい人柄が多くのファンを魅了する。これから始まるのは、神戸のジャズとともに歩んできた伝説のシンガーの物語-。 =敬称略= (松岡 健)

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