「後悔しないように」津波から自分たちの命を守った“てんでんこ”を語り継ぐ【わたしの防災】

「津波てんでんこ」という言葉。
「津波が来たら、いち早く各自がてんでんばらばらに高台へ逃げろ」という岩手県三陸地方の古くからの言い伝えです。この言葉を学び、東日本大震災の津波から命を守った語り部が静岡市内で講演し、日頃から備えで「後悔しないように」と訴えました。

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<東日本大震災の語り部 菊池のどかさん>
「昔、三陸地方に住んでいた人たちは『命を守るために、てんでばらばらに逃げなさい。たとえ家族であったとしても、自分の命を一番に守りなさい』という言葉を伝え続けてくれていました」

1月20日、静岡市内で講演したのは、岩手県釜石市の語り部菊池のどかさん(28)です。東日本大震災が起きた当時、中学3年生だった菊池さん。子どもたちが率先して高台を目指し、津波から逃れた当初「釜石の奇跡」とも呼ばれた避難行動を経験しました。

菊池さんが通っていた中学校は津波の被害を受けました。

<東日本大震災の語り部 菊池のどかさん>
「3月11日、私はこの道路を通って学校に行きました。実はこの写真は、私の通学路だった場所です。真ん中に赤い消防車両がつぶれてしまっているのが分かるかなと。いろいろな物ががれきと呼ばれるものになって重なってしまっている。そんな状況に突然なりました」

中学校は、海からすぐの場所にありました。長くて激しい揺れが収まった後、菊池さんたちは「津波が来る」と思い、大津波警報が出る前から避難を始めました。最初に逃げたのは、学校から800m離れた介護施設の駐車場。学校指定の避難場所だったここに一度、集まったといいます。

<東日本大震災の語り部 菊池のどかさん>
「私はこのとき、すごく焦りました。『全員死んじゃうんじゃないか』と正直思いました。実際どんな大きさの津波がくるかも分からない、そんな状況の中、こんな低いところでこんなに時間を使っていて大丈夫なのかな、そう思っていたのもあります」

避難した駐車場は海抜4メートルでその後、津波に襲われました。間一髪のところで中学校の副校長が二次避難場所への移動を判断。子どもたちは隣の小学校の児童とともに約570人で海抜15メートルの場所に逃げました。二次避難場所で街を襲う津波を見たと菊池さんは、語っています。

<東日本大震災の語り部 菊池のどかさん>
「ここが海抜15メートルの地点ですね。この場所で点呼を取ろうとしたら、もう津波が来ていたというような感じでした。1人が『やべー』って騒いだ瞬間にみんな、すぐまた走り始めたので、ここからさらに上に避難するまでの短い時間だけ見ていたという感じでした」

最終的に避難したのは、海抜44メートルの場所でした。子どもたちはより高い場所を目指し、津波から逃れたのです。中学校では、震災前から防災について、たびたび学んでいました。その教育が避難行動を支えましたが、菊池さんは後悔したことが多くあるといいます。

<東日本大震災の語り部 菊池のどかさん>
「まず、『ちゃんと逃げるよ』と、『自分は助かるために逃げるよ』ということを震災が起きる前に、親にちゃんと伝えてなかったことをすごく後悔しました。できることは本当はまだまだたくさんあったんじゃないかなということに、いまさらながら、気づきました」

地域の人とももっと話をしていれば、多くの人が助かったのではないかと考えています。

<講演を聞いた人>
「自分がもし菊池さんと同じような立場でその場にいたら自分はどんなふうに行動していたんだろうなと想像することが大事かなと」
「もう少し、行政だけじゃなくて、みんなで気にしないと助からないなと思った」

<東日本大震災の語り部 菊池のどかさん>
「自分自身が震災の時にできていなくて、すごく後悔した部分があったので、日常の中で家族と話をする時間や同じ時間を過ごすことを大事にしてもらえたらうれしい」

後悔しないように。それが菊池さんからのメッセージです。

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