珠洲、輪島復興信じ 富山、宇奈月の2次避難者

ふるさとに向けて手を振る珠洲市の避難者=31日、富山県内のホテル

 1日で能登半島地震から1カ月。富山県内に2次避難する能登の被災者は遠く離れた地からふるさとに思いを寄せている。避難者は県境をまたいだ地で暮らし始め、復興を信じて必死に前を向く。

 31日現在、立山山麓にある富山市のホテルテトラリゾート立山国際には珠洲市の104人、黒部市宇奈月温泉の湯快リゾート宇奈月グランドホテルに輪島市の81人が集団避難している。いずれも石川県が2次避難先に登録した施設で、このほかの施設でも能登の被災者が身を寄せている。

  ●「恋しいんやわ」

 「今の風景は全然ちごけど、恋しいんやわ」。高林憲治さん(79)=珠洲市高屋町=の地元は70人ほどが暮らす小さな集落。畑をしながら近所の人と井戸端会議をするのが日常だった。「はよ戻りたい」。慣れ親しんだ地への愛着は深い。

 同市馬緤(まつなぎ)町の守禅寺は、寺の姿はとどめているが住める状況にない。住職の母廣山淑恵さん(80)は「どうなるか考えがつかんけど、いずれ帰るためにここで体力を維持したい」と気丈に笑みを浮かべた。60世帯ほどの集落に残るのは5、6世帯前後という。「集落はわやくそやけど、守ってくれとる住民がいる。ありがたい」と感謝の念を深める。

  ●いとこは不明のまま

 国重要無形民俗文化財「能登の揚浜式(あげはましき)製塩の技術」を受け継ぐ浜士浦清次郎さん(55)=同市長橋町=のいとこ夫婦は安否不明のままだ。「一刻も早く見つけて」と浦さん。2人は仁江町の自宅付近で土砂崩れにあったとみられ、もどかしさが募る。勤務する道の駅「すず塩田村」は休業に追い込まれ、周辺の海岸では地盤が隆起し、海が遠くなった。海水のくみ上げにも支障を来しているが「早く再開し、観光客を呼び込みたい。それが復興になる」と力を込める。

 温泉地での生活に、天野律子さん(71)=輪島市鳳至町=の胸の内は複雑だ。「もっとつらい思いをしている人がいる。ぜいたくして申し訳ない」。ふるさとの悲惨な現状を思い出すと、自然に涙が頰を伝った。

  ●感謝でいっぱい

 谷元愛子さん(72)=同市町野町=は30日、ホテル近くの美容院を利用すると料金が驚くほど安かった。「ただ同然にしてくれた」と振り返る。ホテルや地域の人には、感謝でいっぱいだ。地元は半農半漁の自然豊かな集落で「この年になると自然の中におるのが一番。富山の皆さんに大変よくしてもらい、これを励みに頑張らんといかんと思っている」と話した。

 「輪島塗、朝市、白米千枚田。どれも輪島の愛すべき誇りです」。笠原均さん(69)=同市河井町=は働き口を求め輪島を離れる予定だが、伝統工芸と観光名所の復活を願い続ける。

 市内のデイサービス施設の臨時職員として働いていたが、施設の再開時期は見通せない。「いつまでもじっとしているわけにはいかない」と新たな一歩を踏み出そうとしている。

© 株式会社北國新聞社