「時を運ぶ船」無事だった 奥能登国際芸術祭の人気作品 さいはてアートに復興の光

多くの常設作品が被害を受ける中、無事が確認された「時を運ぶ船」=1月31日、珠洲市清水町

 珠洲市で開催された奥能登国際芸術祭(北國新聞社特別協力)の常設作品「時を運ぶ船」は能登半島地震の揺れに耐え、美しさを保っていた。外浦を望む旧保育所の一室に木の船を置き、赤い毛糸を張り巡らせた作品は苦難を乗り越え、受け継がれてきた珠洲の塩づくりの歴史をコンセプトとする。無傷で残った「さいはて」のアートに、復興への背中を押してくれる力を感じた。(社会部・巻山彬夫)

 扉を開けると、室内は緋色に輝いていた。「よかった無事だった」。1月31日、震災後、初めて足を運んだ珠洲市芸術文化創造室次長の水上昌子さんは安堵(あんど)した。

 清水町の旧清水保育所に作られた「時を運ぶ船」は2017年開催の第1回芸術祭から人気の常設作品。揚浜(あげはま)式塩田の砂の運搬に使われた「砂取船」から、天井や壁へと続くように無数の赤い糸が編まれている。古代から製塩技術をつないできた人たちの血脈のようにも見える。

 「地元の人たちにとって生きがいになっている」と水上さん。過去3回の芸術祭では県内外から多くのファンが足を運び、地域住民との交流を生んだ。地震の後、会期中の作品解説を担った地元老人クラブの会長が様子を見に行き、無事を知らせてくれたという。

 残念ながら傷ついた常設作品もあった。三崎町小泊にある「記憶への回廊」は、積み上げられた「塩の塔」がむなしく崩れ落ちていた。爽やかな水色で塗られた室内は天井の板が1枚剝がれていた。

 塩を押し固めたレンガを階段状に並べ、3㍍の高さに重ねている。幅は十数㌢と薄い。21年9月の震度5弱、22年6月の震度6弱、そして昨年5月の震度6強と、3度の大地震を耐えた。しかし「震度7相当」の揺れにはなすすべがなかった。

 大谷町にあるスズ・シアター・ミュージアムの館内はかつて祭りのもてなしで使われた御膳や漁具、古い家電製品などの展示品が落ち、散らばっていた。

 31日は和歌山県在住の作者、南条嘉毅さんが作品の保全のために来ていた。「飾ってあるのは、どれも大谷の人たちに寄贈してもらったもの。次の形へとつながるように、頑張って一緒にやっていきたい」。まだ修復に手を付けられる状況ではなく、どうすべきか、気持ちは定まらない。

 市も全ての作品を実際に確認できたわけではないが、常設作品23点のうち、「時を運ぶ船」など10点は「ほぼ無傷」だったとみられる。

 水上さんは「無事でよかったのはよかった。けど…」と話したが、その先は言葉が続かなかった。

 アートのそばでは住宅が何軒も倒壊し、大規模な土砂崩れが起きている。どれだけの人が戻ってこられるのかも分からない。それでも多くの人を奥能登に引き付けた作品は、復興の希望になると思いたい。

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