珠洲・塩田村復活願う 富山避難の浜士・浦さん

すず塩田村の復活を待ち望んでいる浦さん=富山市内のホテル

 能登半島地震で富山市に2次避難した、国重要無形民俗文化財「能登の揚浜(あげはま)式(しき)製塩の技術」を受け継ぐ浜士の浦清次郎さん(55)=珠洲市長橋町=は、勤務先の道の駅「すず塩田村」が休業を余儀なくされた。地元の小学生や観光客の体験でにぎわっていた観光名所で、浦さんは再開を待ち望んでいる。

 浦さんは10年前から製塩に携わり、浜士として珠洲の塩作りに励んでいた。地震で塩田村周辺の海岸は隆起し、海が100メートルほど遠くなり、毎日見ていた風景は一変した。「お客さんから『きれいだね』と言われるのがうれしかった。それがなくなって寂しい」と肩を落とす。

 塩田村の営業は2月中は休止しており、塩田の一部が損壊し、海水のくみ上げにも支障があるため、いつ体験事業が再開できるか不透明だ。

 浦さんは「何もできないのは心苦しい。珠洲に戻って道の駅の片付けをしたい」と話す。「早く再開して、観光客を迎えたい」と力を込め、復興の一助になる決意を示した。

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