東京再発見 第4章 鎮守(しずめ)の灯り~千代田区外神田・神田明神~

山車が江戸城内まで入り将軍が上覧した。そのため、「天下祭」と言われる神田祭を行なう神社、正式名称は神田神社。創建は730年と言われる。神田明神と言われるようになったのは江戸時代のことである。

朱色の傘が光を浴びて、スカイツリーと競演

神田祭は、江戸の三大祭り(山王祭、深川八幡祭)の一つであり、平将門との関係も深い。そして、神田、丸の内、大手町など108か町の氏神として、江戸の総鎮守とされてきた。

その御祭神は、一之宮(大己貴命:おおなむちのみこと、大黒様、縁結び)、二之宮(少彦名命:すくなひこなのみこと、えびす様、商売繁盛)、三之宮(平将門命、除災厄除)である。

平安を乱したものが、平安をもたらす・・・

三之宮の御祭神、平将門は935年に乱を起こし敗死したが、その首が都から持ち去られた。そして、神田神社の近くに葬られた。その後、疫病が流行した際に将門の祟りであると流布され供養されたのだ。

男坂から本郷通りを望む

江戸城増築の際の1616年に今の御茶ノ水の高台に遷座された。

将門を祀っているため、「勝負ごとに勝つ」という謂れから数多くの参拝者がいることでも有名である。特に、地域の会社の役員の方々が初詣に訪れることも少なくない。

例大祭が5月15日に行なわれ、隔年(西暦奇数年)が大祭となる。今や首都・東京の中心である神田や大手町、日本橋の町々にゴールデンウィーク前後に神酒所が作られる。そして、名立たる道路方々にも幟旗も掲げられる。ビジネス街であるこの辺りは、普段週末人口は皆無。しかし、この時期だけは、地元住民や観光客が集い、祭りのにぎわいを見せてくれる。

先進事例が、神社仏閣の未来を・・・

2018年12月、境内に神田明神文化交流館「EDOCCO」をオープンした。各種イベントを開催できるホールを建設したのだ。ただ単に、参拝者が訪れるだけでなく、一般企業や団体等に神社を活用してもらうことを目指している。2029年の「創建千三百年奉祝年」の記念事業の一環である。

EDOCCO内部のモニュメント

また、テレビドラマのロケ地として、さまざまなメディアにも映像が使われることも多くなった。

日本の宗教人口は、総人口の二倍と言われる。しかし、一方では若者の宗教離れが激しいとも言われる。気軽に詣でることができる(訪れてもらえる)取り組みは、神社仏閣の将来につながる素晴らしい仕掛けと言える。

京都奈良と同様に、東京の神社仏閣も重要な観光コンテンツとして、詣でる存在になり得る。その大小に関わらず、人々の心の潤いの場所になるはずである。

まさしく、このような観光のあり方を大切にしつつ、新たなチャレンジに期待をしたいものだ。

鎮守(しずめ)の灯り

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取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長

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