「命はいつか終わる。」阪神大震災、震源地の淡路島 僧侶に突き付けられた現実「予期せぬ終わりを迎えた人を多く見た」

今も残るプレハブの本堂で震災時を振り返る住職の禰宜田龍真さん=淡路市富島

 読経が低く響く。心穏やかにあの日を思い起こし、亡き人へ祈りをささげる。

 今年も1月17日夜、兵庫県淡路市富島にある興久寺で、阪神・淡路大震災の犠牲者を悼む法要が営まれ、遺族らが集まった。

 震源となった淡路島で特に被害が大きかった富島地区。法要は、同寺と周辺地域の三つの寺が29年、欠かさずに開いてきた。

 「ただ、静かに祈る場所があっていい」。四つの寺は思いを同じくし、報道機関のこの場の取材は全て断ってきた。記者は、カメラやノートは手にせず、一人の参列者として手を合わせた。ただ、静かに。

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 同寺は1665(寛文5)年の開創とされる。住職の禰宜田(ねぎた)龍真さん(60)は同市野島蟇浦出身。1991年に住職に就いた。

 その4年後、震災が起きた。当時、禰宜田さんは境内にある木造平屋の離れで暮らしていた。下から突き上げられるような衝撃で目が覚めた。離れは無事だった。外へ出ると本堂のガラス障子が割れているのが見えた。

 状況を確認しないと。旧北淡町役場など近辺を回った。明るくなった頃、寺に戻った。本堂は屋根が全て落ち、全壊していた。

 ショックを受けたが、本堂をどうするか、考える暇も余裕もなかった。亡くなった人たちの合同葬儀を行うと同町職員に告げられ、読経を依頼された。

 翌日、当時の北淡町民センターで合同葬儀が営まれた。禰宜田さんは、町内のほかの寺の住職とともに経を唱えた。

 多くの参列者はほこりをかぶっていた。「みんな放心状態。余裕を持って話ができるような人はいなかった。災害だから、怒りのぶつけどころがなかった。そんな中で、誰もがつらさに耐えていた」

 火葬を終え、遺骨が戻ると、同センター内の一室を借り、檀家ごとに個別の葬儀をあげた。

 島内や神戸で、檀家(だんか)18人が犠牲になった。自分は僧侶。日常から死に向き合ってきた。

 でも、あの日は違った。「予期せぬ終わりを迎えた人を多く見た。命はいつか終わる。改めてその現実を突き付けられた」

    

 震災で26人が犠牲になった淡路市富島地区。遺族らが思いを寄せ合ってきた一つの寺の歩みを見つめた。(中村有沙)

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