「“ヨルダンのメッシ”と呼ばれたくない」アジア杯で大ブレイクのアル・ターマリ、『唯一の欧州組になれたワケ』とは

1月12日から開幕したAFCアジアカップで快進撃を続けているヨルダン。大会前に行われた日本代表との非公開トレーニングマッチでは1-6と完敗していたこともあり、驚きを持って受け止められている。

ワールドカップ予選でもまだ未勝利という状況のチームが生まれ変わったワケは、この大会において徹底したスピードカウンターのサッカーを貫いていることだ。

このところアジアのサッカーは欧州的な戦術やポゼッションサッカーが急速に導入されているものの、その一方でオーストラリアや韓国などそのモデルチェンジで強化されたとは言い難いチームもある。

だからこそ、そのような「クラシカルなカウンターサッカー、ロングボールサッカー」が逆に生きる状況にもなっている。

ヨルダン代表のエースとして10番を背負うムサ・アル・ターマリ

その筆頭が今回のアジアカップで飛躍を遂げたヨルダンだといえよう。それを支えているのは、攻撃の中心として活躍しているムサ・アル・ターマリである。

かつての「欧州組」は、「消えた天才」だった

ヨルダン出身の欧州組選手といえば、レアル・マドリーとバルセロナの下部組織でプレーしたターイル・バワブが非常に有名だ。

レアル・マドリーやバルセロナの下部組織で天才と言われたターイル・バワブ

子供の頃にスペインへと移住したターイル・バワブは、ジネディーヌ・ジダンのようなテクニックを持つアタッカーと評価され、18歳でレアル・マドリーの下部組織へと加入。

初年度はフベニールで30ゴールを記録する活躍を見せ、プロ契約を結んでCチームに加入。しかしBチームではプレーする機会が得られず、その後バルセロナのBチームへと移籍した。

ただ、彼はそこでも13試合で3ゴールと苦戦し、その後はスペインの下部リーグやルーマニアのチームでプレー。ヨルダン代表でも26試合6ゴールと決して主力にはなりきれなかったのだ。

ヨルダンサッカー界と欧州との繋がりは、なかなか強くならなかった。

しかしそんなときに颯爽と現れたのが、現在フランス・リーグアンのモンペリエでプレーしている「唯一の欧州組」ムサ・アル・ターマリである。

アル・ターマリが「唯一の欧州組になったワケ」

ヨルダンの首都アンマンで1997年に生を受けたアル・ターマリ。国の人気スポーツであるサッカーを愛して育ち、8歳か9歳のころからシャッバーブ・アル・オルドンという地元のクラブでプレーしたという。

母親は「勉強に集中してほしい」「ヨルダンにおいてサッカーで成功することは難しい」と要求していたものの、彼はそれに歯向かったという。リーグ・アンのインタビューにおいて「僕はサッカーが自分をどこまで連れて行ってくれるのか見てみたかった。19歳でトップチームに昇格することを決めた」と語っている。

デビューからまもなく代表に選ばれるほどの活躍を見せ、1年後にはアル・ジャジーラへと期限付き移籍。ヨルダンFAカップを制覇し、AFCチャンピオンズリーグに次ぐアジアのクラブ選手権である「AFCカップ」でも7試合で6ゴールを決める結果を残した。

それがアル・ターマリにヨーロッパへの挑戦権を与えることになった。

2018年の夏、AFCカップでの活躍を見たキプロスの名門APOELニコシアが彼に接触し、3年契約でアル・ターマリはヨーロッパへと渡る。

APOELニコシアはキプロスリーグの王者であり、アル・ターマリはUEFAチャンピオンズリーグやUEFAヨーロッパリーグも戦うことになった。アヤックスやセビージャとも対戦する機会に恵まれた。

セビージャ時代のチチャリートと対戦するアル・ターマリ

その時のAPOELは多くの重要な選手を放出したことでチームの力は落ちていたが、アル・ターマリはそのおかげで出場機会を最初から獲得することができ、キプロスリーグの優勝に大きく貢献。シーズンのMVPも受賞することになった。

キプロスとはいえ、ヨーロッパの国の強豪でプレーして多くのスカウトの目に留まったことが、彼にとっては大きな転機になったのだ。そして2020年にはベルギーリーグのルーヴェンへと移籍し、3シーズンを過ごしたあとでフリートランスファーによりモンペリエへと加入した。

後に彼は「ヨーロッパのクラブはヨルダンリーグを見ないんだ。もし見ていたら、ヨルダンの選手をスカウトすると思うよ!」と語っている。

ただ、いまのところ彼に次ぐ欧州組は出ていない。「ルーヴェンは僕の同胞二人をトライアルに招待した。物事はうまく行ったが、管理上の問題で加入できなかった。APOELも別のヨルダン人選手を獲得したが、もう彼はヨーロッパにいないんだ」とアル・ターマリは語っており、まだ数人が挑戦に臨んだのみだと明かしていた。

「ヨルダンのメッシ…とは呼ばれたくない!」

ヨーロッパでもその実力を発揮しているアル・ターマリ。右サイドや最前線を得意としているアタッカーで、最大の武器は左足から繰り出される圧倒的なドリブル突破である。

「僕は1対1のプレーが好きだ。ドリブルが得意で、足元で素早くボールを扱うことができる。ただ、周りとのワンツーも好きだし、チームプレーに入ることも楽しいよ。自分のプレーだけに固執する選手じゃない」とアル・ターマリは自身のスタイルを説明する。

APOELニコシアでプレーしていたときに、彼につけられたあだ名は「ヨルダンのリオネル・メッシ」。左利きのドリブラーとしてはこれ以上ないような光栄なものだが…。

「僕のことをそう呼ぶ人がいることは知っているけど、そのニックネームはあんまり好きじゃないんだ(笑)。それはキプロス時代のものだね。あそこのファンは…ちょっと頭がおかしいんだ(笑)」とアル・ターマリは言う。

そして「APOELで僕はピッチ上で全てを捧げ、多くのゴールを決めたから、APOELのファンが僕を崇拝する『ヨルダンのメッシ』という歌を作ったんだよ」とも。

また「APOELのファンは別格、特別だ。また彼らに会いたいと思うし、あそこはいつだってスペシャルな場所なんだ」と、クレイジーなサポーターの素晴らしさとAPOELへの思いを語っていた。

【関連記事】日本代表、アジアカップで評価を下げてしまった5名の選手

ヨーロッパのスカウトが見向きもしないヨルダンリーグ。しかしながら、アル・ターマリはAFCカップで活躍してヨーロッパへ渡るための蜘蛛の糸を掴んだ。

そしてチャンピオンズリーグやヨーロッパリーグに出場することでビッグチームとの対戦機会を得て、ベルギーリーグ、そしてフランス・リーグアンへと徐々にステップを進めていった。

世界最高のサッカーの舞台がヨーロッパであるならば、少しでもヨーロッパのスカウトが見ている場所に近づき、そしてインパクトを残すこと。そしてチャンスを得たらすぐにそれを生かすこと。それこそが「アル・ターマリが唯一の欧州組」になれた理由だろう。

そんなアル・ターマリにとっては、このアジアカップも「更にステップアップするためのステージ」。ヨルダンの英雄は10日の決勝戦でも力を発揮できるだろうか。

© 株式会社ファッションニュース通信社