戻れずとも「御陣乗」守る 輪島・名舟、太鼓や面を「避難」

被災を免れた太鼓を御陣乗太鼓会館から運び出す関係者=8日午前10時50分、輪島市名舟町

  ●神社の拝殿、鳥居倒壊

 能登半島地震で被災を免れた石川県指定無形民俗文化財「御陣乗(ごじんじょ)太鼓」の太鼓を避難させると聞き、住民がほとんどいなくなった輪島市名舟町に足を運んだ。ゆかりの奥津姫神社は拝殿や海の鳥居が倒壊。それでも2次避難を続ける太鼓保存会のメンバーは「太鼓をわれわれの代で途絶えさせる訳にはいかない」と力強かった。(輪島総局長・村上浩司)

 輪島を出発して能登町柳田経由で南志見地区に入る。「ここもか」。海沿いの道に出た瞬間に隆起した岩礁と干上がって見える港に目を奪われる。港の堤防の外側にはコンクリートから立つ柱があった。鳥居だと気づくまでに少し時間が掛かった。

 振り返ると小高い場所には神社が倒壊しているのが見える。奥津姫神社だ。

  ●サザエの被害を確認

 遠くの岩礁には人影があった。集落に残った自活の人がサザエでも取っているのだろうか。声を掛けると、自活の住民ではなく、太鼓を運び出すために野々市の2次避難先から来た保存会員の江尻浩幸さん(63)だった。サザエの被害状況を確認しているという。

 江尻さんの案内で御陣乗太鼓会館に入る。「もうこれを造れる人はいない」。男たちが勇壮に太鼓を叩く姿が輪島塗の6枚組パネル(縦1.8メートル、横4.8メートル)になっている。呂色(ろいろ)の職人でもある江尻さんの父親の代がモチーフで、鬼籍に入った方ばかりだ。

 貴重な面や太鼓の一部は地震直後に持ち出して浅野太鼓(白山市)で預かってもらっているが、雨漏りを懸念して、蒔絵(まきえ)パネルや残りの面、太鼓を運び出すことになった。保存会事務局長の槌谷博之さん(56)は「まさかこんな地震が来るとは思わなかった。大先輩も面が無事だったことは喜んでいると思う」と話した。

 この日は浅野太鼓の協力で、蒔絵パネルと太鼓8張り、子供用の面など十数面を運び出した。保存会は3月16日の北陸新幹線県内全線開業時に金沢駅で太鼓を披露することになっている。槌谷さんは「私たち以上に苦しんでいる人たちがいる。精いっぱい叩きたい」と力を込める。

 海側から南志見地区に続く国道249号は復旧に2年は掛かるとされる。「いつ戻れるか分からないが、必ず戻る。今は白山市を拠点に太鼓を守る」と槌谷さん。奥津姫神社の再建や名舟大祭の開催は見通せないが、越後の戦国武将上杉謙信の軍勢を追い払った先人に負けない熱量を感じた。

 ★御陣乗太鼓 石川県指定無形民俗文化財。1576(天正4)年、上杉謙信の軍勢が七尾城攻略後、攻め込んだ際、村人が木の皮の面を着け、海藻を頭に載せて太鼓を叩いて追い払ったのが起源とされる。戦勝は奥津姫神の御神威によるとされ、7月31日~8月1日に同神社の名舟大祭に男衆が太鼓を打ち鳴らしながら神輿渡御の先駆を務める。

面を運び出すためスーツケースに詰める保存会員

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