<高校卒業後は東京の短大へ。約束の2年で佐伯に戻り、家業を手伝い始めた>
父は「大学には行かせない」と。私は糀屋本店の長女です。継ぐ覚悟はできていました。叔母たちが「ちょっと外に出して遊ばせてあげたら」と応援してくれて。2年間の“猶予期間”をもらいました。
短大を卒業した1973年、糀屋に戻ってきました。家庭でみそを造る人が少なくなり、こうじの需要は減っていました。経営は厳しくなり、折り箱や氷、ドライアイスも売るようになっていました。
25歳で結婚しました。その頃はお見合いの写真がよく送られてきていましたね。家業を継ぐことは受けて立ちますが、結婚は妥協したくありません。