恩人見つけた、再会心待ち 帰省中に被災、孤立の男性 食料支援の「感謝伝えたい」

輪島市門前町暮坂で一緒に写真に納まる山本さん(右)と舟川さん=1月6日(舟川さん提供)

  ●加賀の舟川さん、孤立の門前巡り単身で救援物資 

 能登半島地震で孤立状態だった輪島市門前町暮坂に1月6日、ボランティアで水や食料を届けた男性がいた。暮坂の実家に帰省していた山本進さん(69)=金沢市三口新町=はお礼を言いたいと、本紙「地鳴り」欄に投稿したり、知人のつてを頼ったりして男性を探し出した。山本さんは恩人の加賀市大聖寺の自営業舟川賢介さん(42)に電話で感謝を伝え、「胸のつかえがとれた。今度は直接『ありがとう』と言いたい」と再会を心待ちにしている。

 山本さんは昨年12月30日、1人で帰省し、実家にいた。元日、テレビを見ている時に地震が発生。家屋は床が抜けるなどしたが、外に逃げ出し無事だった。

 集落は県道ののり面が崩壊して孤立し、集会所につながる道も土砂崩れや陥没で車が通れなくなった。

 山本さんは昨年11月に足の手術を受けたばかりで、集会所に行くことも難しく、隣の70代男性と食料を分け合い、納屋や車内で過ごした。11日昼ごろ、ようやく自衛隊のヘリコプターで集落を離れた。

  ●1月6日に来訪

 リュックサックを背負った舟川さんが暮坂を訪れたのは6日。舟川さんから「ボランティアで安否確認と食料を持ってきました」と声を掛けられた山本さんは水やおにぎりなどを受け取り、一緒に写真を撮影して別れた。

 舟川さんは運転免許証や健康保険証を示し、身分を明らかにしたが、山本さんは「地震発生から日が浅く、暮坂まで来たのは自衛隊だけだった。こんな所に一人で来るわけがないと気が動転し、少し警戒してしまった」と振り返る。金沢の自宅に戻ってからも失礼な態度をとったのではないかと後悔が募り、「お礼とおわびを伝えたい」と舟川さんを探すことにした。

  ●知人を頼りに

 山本さんは15年前から投稿している本紙「地鳴り」欄に再会したいとの思いを投稿、1月24日付に掲載されたが、有力な情報は得られなかった。そこで記憶にある「大聖寺の舟川さん」を手掛かりに知人を頼るなどして調べると、「舟川」という名字で大聖寺に住む人物の住所が分かった。

 本人かどうかは定かではなかったが、暮坂でのやりとりや「再会したい」との思いをつづり、自身の電話番号を記したはがきを郵送すると、1月30日に舟川さんから電話が掛かってきた。山本さんは「電話で感謝の気持ちを伝えることができた」と笑顔を見せた。

  ●「元気な声聞けて安心」救助の11日再訪も

 舟川さんは北國新聞社の取材に対し、「はがきは驚いたけど、電話で山本さんの元気な声が聞けて安心した」と話した。舟川さんも暮坂を訪れた後、山本さんのことが気になっていたという。山本さんが救助された11日午後、門前を再び訪れ、自衛隊員から避難したことを聞いて、安堵(あんど)した。

 舟川さんは山道を走行するトレイルバイクや登山が趣味で、経験を生かし、孤立集落に水や食料を届けていた。暮坂にはバイクで行き、最後は歩いてたどり着いた。今も被災地でボランティアを続けている。

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